ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

先生によるイジメ

2017年10月28日 | 思い出



     「先生によるイジメで子どもが死んだ」などと聞くと、胸が痛みます。
     先生にいじめられたことのない人でも、
     「そういえば」と、一つや二つ、先生との嫌なできごとを思い出すのではないでしょうか。

     先生も人間ですから、いつも「りっぱな保護者、教育者」の顔ではありえません。
     先生も人間ですから、
     ロボットのように、いつも同じパフォーマンスをするようにこころをセットすることもできません。
     
     何より、先生が「教える」相手は、やわらかい未熟な人間たちです。
     こちらも、いつも 機嫌よく、素直によく言うことを聞き、
     日々「すくすくと成長する」テレビドラマの中の子どものようにはいきません。
     自由に歩き回る足があるし、自由に飛翔するこころがあるのです。
     肉体は弱く、すぐにのどが渇いたり、お腹が空いたり、疲れたり、ドキドキしたり、
     胃が痛くなったりするのです。

     しかも、この両者を結びつけているのは、偶然の出会いに過ぎません。
     ある教師は、ある学校である時、偶然にAくんを教えることになるのです。
     ある子供は、ある時、ある学校に行き、偶然にB先生に、教えてもらうことになるのです。

     親と子どもも、ある意味偶然に「出会っている」のですが、
     親は、原則、赤ん坊の時からA君の面倒を見ています。
     ある意味、その関係は、「死が二人を分かつまで」続くのです。その関係は、
     もちろん、結婚より、宿命的です。
     たとえ、親に捨てられた子でも、「自分の親は、どんな人か。どこにいるのだろう」と思うでしょう。

     事実、子どものいない人はいても、親のいない子供はいないのです。

      ★★

     一生涯、関わり続ける、死んだあとでも関係性が残る親子関係に比べれば、
     学校における教師と子供の出会いは、ほんの短い期間です。
     よい思い出のある先生なら、末永く便りをやり取りしたり、年賀状を送ったりするでしょうが、
     卒業と同時に、「別れて、ヤレヤレ!!」の関係もあるはずです。

     その短い期間、その関係もある意味で、選べるのに、その間に、
     「死を選ぶ」ような出来事が起きてしまうのは、本当に、悲しいですね。


★ ★

     高校時代に亡くなったクラスメートについては、今でも、思い出すと自責の念にかられます、
     先生が、ホームルームの50分を全部使って、彼女を責めていた間、
     彼女が、激しく泣きじゃくっているのに、その非難と嘲笑とが混じった攻撃を緩めなかった間、

     すべての生徒が、なかばうつむいて、先生の「お説教」を聞いていたとき、
     どうして、手を上げて、「先生、もう十分ではないですか」と、言えなかったのだろう。

     その日、彼女は、選択科目の習字の時間後に、朱を入れられた半紙を丸めてゴミ箱に捨てていた、
     授業後、習字の先生がゴミ箱にそれを見つけて、私たちの担任に報告したというわけだった。
     「先生に手を入れてもらった物を捨てるとは、何事ですか。」と、言うのが説教の始まりだった。

     それから、延々と、私たちの「学びの姿勢」が咎められたのだった。
     時代が時代であったし、生徒は、先生の基準に達しなければいけないと、みんな思っていたし、
     達しないこともわかっていたので、
     さらに、その女性教師が、しばしば、だれかを標的に「つるし上げる」人だったので、
     その背後には、学校の権威や、
     その学校に在籍しているだけでも喜ばなければと思わせられる社会通念があって、
     まあ、なんとか無事、卒業しようと事なかれな気分が支配していた。
     先生の、基準に達しない自分が悪いんだ・・・!

      ★★

     それにしても、
     どうして、矛先が、自分でないことに安どするように、
     ただ、鉛筆でノートに小さな花を、描き続けていたのだろう。
     ほかの人はとにかく、
     私は、同じ中学校から行ったのだから、少しは彼女と親しく
     彼女が、中学時代とは別人のようにふさぎ込むようになっていて、
     何かの拍子に、「自分はダメだ。自分は価値がない」と書いていたのを知っていたのに。

     その次の日曜日の朝、彼女は、居住している町からはるかにはなれた、●●線の踏切で、
     電車にはねられて即死した。
     事故だと片づけられ、だれも、それに異を唱える人はいなかった。
     お葬式は、今日のような雨の日で、寒くなりはじめたころだった。
     ほとんど全校生徒と、すべての教職員が参列した。