ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

サムソンの敗北

2021年05月31日 | 聖書

 サムソンはとうとうデリラの誘惑に負けて、自分の怪力が決して剃られたことのない髪の毛にあることを明かしてしまいます。

 その結果、ペリシテ人に捕らえられてしまい、目をくりぬかれて牢に入れられます。しかし、無力になったサムソンにもう一度チャンスがやってきました。

 

Coffee Breakヨシュア記・士師記131 臼をひくサムソン(士師記16章16節~22節)


 こうして、毎日彼女が同じことを言って、しきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。(士師記16章16節)
 それで、ついにサムソンは。自分の心をみな彼女に明かして言った。「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎内にいるときから。神へのナジル人であるからだ。もし私の髪の毛がそり落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなり、普通の人のようになろう。」(17節)

 とうとうサムソンは彼の力のみなもとがどこにあるか、デリラに明かしてしまいました。髪の毛を剃り落すことは、ナジル人であることをやめることです。神様との特別な関係を断ってしまうことです。デリラは、すぐにペリシテ人の領主たちに連絡し、ペリシテ人の領主たちは、今度は約束の銀をたずさえてやってきました。

 彼女は自分のひざの上でサムソンを眠らせ、一人の人を呼んで、彼の髪の毛七ふさをそり落とさせ、彼を苦しめ始めた。彼の力は彼を去っていた。(19節)
 彼女が、「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます」と言ったとき、サムソンは眠りからさめて、「今度も前のように出て行って、からだをひとゆすりしてやろう」と言った。彼は主が自分から去られたことを知らなかった。(20節)
 そこで、ペリシテ人は彼をつかまえて。その目をえぐり出し、彼をガザへ引き立てて行って、青銅の足かせをかけて、彼をつないだ。こうしてサムソンは牢の中で臼をひいていた。(21節)

 神の力が離れてしまったサムソンは、あっけなくペリシテ人に捕まってしまいました。目をくりぬかれ、青銅の足かせをつけられ、ペリシテ人の本拠・ガザに引き立てられ、そこで、臼を挽かされることになるのです。
 ここで、臼と書かれているのは、私たちが見る餅臼でもなければ、手で上ぶたをまわして米や麦を引いた小さな石臼でもありません。のちに水車を動力とすることになる、大がかりなロータリーカーンといわれるものです。臼の部分から引き棒が水平に伸びていて、それを人が押し歩きながら回す、または、ろばや牛に引かせるのです。
 このような粉ひき場は、屋根があり薄暗く、仕事は単調で、それでいて力仕事だったでしょう。ぐるぐる歩いて回っていればいいので、目をくりぬかれても出来たわけです。
 
 ペリシテ人は、サムソンを殺すこともできたのに、あえてこのような「刑罰」を与えたのです。これは、彼が見せしめであり、さらし者にされているのを意味します。腕力があり豪放だったスーパーマンを、このように臼の奴隷にすることで、笑いものにしたのです。それが、最大の報復になると知って、行っているのです。
 これは、単純に命を奪うより、よほど残酷な刑罰です。歴史的には、しかし、このような残酷な刑罰は、国を問わず、時代を問わず、いくらでも行われてきたのです。もちろん、「残酷な刑罰」は、今は国連条約で禁止されています。

★★★

 サムソンは、どのような思いで、黙々と臼をひいていたでしょう。「ほぞをかむ」「後悔する」「反省する」などと言う言葉では、とうてい届かない絶望と悔悟の中に突き落とされたに違いありません。豪放磊落、傍若無人にふるまっても、どのような無茶も押し通すことができる。自分の腕力を持って解決できるとの思い込みを、根底からひっくり返されたに違いありません。

 サムソンは、絶望のどん底で、ようやく、心底自分が生まれる前からのナジル人であったこと、それゆえ、神がただならぬ力を自分に与えておられたのだと気がつきました。神にお詫びし(悔い改め)、ナジル人としての誓願をし直し、祈ったのです。

 サムソンの頭の毛はそり落とされてから、また伸びた。(22節)

 
 頭にかみそりを当ててはならないという神の戒めに違反したサムソンでしたが、神は、心から主(しゅ=神)に叫ぶサムソンを憐れんで下さいました。
 髪の毛が伸びてきたサムソンに、神からの力が戻って来たのです。