1月30日、ローの夜は、大学の講堂で開かれた地域壮年男子の「聖会」への参加でした。
「聖会」は、キリスト教界の用語だと思います。私たちは一つの地域教会の集いとして礼拝する場合、「礼拝会」「祈祷会」などと呼んでいます。毎週日曜日に礼拝する日曜礼拝が代表的なものです。これは、まさに礼拝と祈りを中心とした集会です。聖書を勉強することや、教会の運営などについては、また別の名前で呼ばれます。
聖会は、クリスチャンたちが個々の教会の枠を超えて集まる、教会横断的に開かれる礼拝会です。
教団単位で開かれる「聖会」や地域教会が集まって行う「聖会」、単立であってもゲストなどを招いて特別に行う「聖会」もあります。
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聖会の前に、食事会がありました。近くの教会で食事が出され、集まった人々はまず、歓談しながら腹ごしらえです。
写真、教会の中から教会の前の駐車場まで食事の用意がありました。
日本で言えば小学校の体育館くらいの広さの講堂がほぼ満員でした。あいさつや賛美(歌)、お祈り、証しがあり、私たちも一応壇上で紹介を受けました。
聖会は、夜が第一部。翌朝五時半から祈り会、八時半から第二聖会、十時半から第三聖会と続くことになっていました。 参加者は、知り合いの家に泊まる人、車の中に寝る人、でなければ、その床に寝るとか。
写真・アレックス先生とS先生、お証しをする人、夜の聖会、昼間の聖会
私たちは、大学のゲストルームに泊まることになっていました。
ゲストルームは、二階建ての建物で、一階がリビングルーム、トイレ、シャワー室。二階に部屋が三室ありました。女性二人が一室。男性は二人ずつ分かれて二部屋に入りました。
ここで、初めて、2000メートルの山の寒さを体験しました。寝具はタオルケットが数枚。しっかりした毛布やふとん、暖房器具がないのですから、ダウンのコートを着ていてさえ寒くて眠れません。夜中に起きて、服を重ね着し、ホッカイロを貼って改めて眠ります。その時、足を滑らせてベッドの角で唇を切ってしまいました。
翌朝、医者のF先生に診てもらうと、「かすり傷だ。縫う必要なはいよ」とやさしく。
難民キャンプで重症者をたくさん見てこられた方から見ると、ほんとかすり傷に違いありません。
確かに、血は止まっていましたが、できれば抗生物質をと思うのは、東京スタイルですね。電話すれば救急車が来るような場所ではないのですから。まあ、帰国まで傷のせいで、食事をうまく食べることができませんでしたが、良い思い出です。
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朝の祈り会はキャンセル。私は、(S牧師の説教があったのですが)、聖会も欠席しました。自分の教会に短い劇を書いて送る期日が迫っていたからです。午前中かけて何とか書き上げ、それまでに撮った写真をパソコンに落とし、整理しました。
写真・果物の朝ごはん、
さて。何だかわかりますか。
温泉です。!
31日、次の村に移動する途中温泉に入ることができました。
なんといくつものブースになっていて、ホースからは流れ放題のお湯。
しょっぱい味でしたが、いい湯だなあ!でした。やっぱり日本人!
日本に働きに来ていた人が、自然状態の温泉をこのような施設に作ったそうです。
私たち一行以外にお客はいませんでした。もったいない!