サムソンは聖書中もっとも人気のある人物の一人です。型破りで豪放なキャラで俗受けするのですが、実際は悲惨な物語を生きました。国が外国(ペリシテ人)に抑圧され、迷走している時代でしたから、神様は彼を生まれる前からサムソンを聖別され、用いられました。
Coffee Breakヨシュア記・士師記128 救国の英雄(士師記15章7節~20節)
自分の妻がほかの男の妻になっていたことに腹を立てたサムソンは、ジャッカルを使ってペリシテ人の土地の刈り取りを終え束ねておいた麦、まだ刈り取る前の麦畑、それにオリーブ畑に至るまでを、燃やしてしまいました。そのうえ、妻とその父の家に火をつけて殺したペリシテ人たちを「激しく打ち」復讐しました。さながら、竜巻の襲来のような乱暴な足跡を残していくサムソンに、ペリシテ人も激怒しました。手に手に武器を持って攻め上ってきたのです。
驚いたのはユダの人々です。彼らの支配者であるペリシテ人と戦うことなど、最初からあきらめているので、彼らはペリシテ人に訊ねます。
「なぜ、あなたがたは、私たちを攻めに上って来たのか。」彼らは言った。「われわれはサムソンを縛って、彼がわれわれにしたように、彼にもしてやるために上ってきたのだ。」(士師記15章10節)
ユダの人々は、騒ぎの張本人であるサムソンを捕えてペリシテ人に渡すことにしました。三千人もの人数で、サムソンが隠れているエタムの岩の裂け目にやってきます。
彼らはサムソンに言った。「私たちはあなたを縛って、ペリシテ人の手に渡すために下ってきたのだ。」サムソンは彼らに言った。「あなたがたは私に撃ちかからないと誓いなさい。」(12節)
すると、彼らはサムソンに言った。「決してしない。ただあなたをしっかり縛って、彼らの手に渡すだけだ。私たちは決してあなたを殺さない。」こうして、彼らは二本の新しい綱で彼を縛り、その岩から彼を引き上げた。(13節)
サムソンは自ら進んで捕えられたのです。暴力沙汰になると、剛腕の自分が同胞を傷つけてしまうことを懸念したのです。(新実用聖書注解・いのちのことば社)
「なぜ、あなたがたは、私たちを攻めに上って来たのか。」彼らは言った。「われわれはサムソンを縛って、彼がわれわれにしたように、彼にもしてやるために上ってきたのだ。」(士師記15章10節)
ユダの人々は、騒ぎの張本人であるサムソンを捕えてペリシテ人に渡すことにしました。三千人もの人数で、サムソンが隠れているエタムの岩の裂け目にやってきます。
彼らはサムソンに言った。「私たちはあなたを縛って、ペリシテ人の手に渡すために下ってきたのだ。」サムソンは彼らに言った。「あなたがたは私に撃ちかからないと誓いなさい。」(12節)
すると、彼らはサムソンに言った。「決してしない。ただあなたをしっかり縛って、彼らの手に渡すだけだ。私たちは決してあなたを殺さない。」こうして、彼らは二本の新しい綱で彼を縛り、その岩から彼を引き上げた。(13節)
サムソンは自ら進んで捕えられたのです。暴力沙汰になると、剛腕の自分が同胞を傷つけてしまうことを懸念したのです。(新実用聖書注解・いのちのことば社)
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捕えられたサムソンを見たペリシテ人は、叫び声をあげて彼に近づいてきました。なぶり殺しにしてやろうと言うわけでしょう。新しい綱二本でぐるぐる巻きにされているのですから、サムソンも絶体絶命です。
その時、主の霊が激しく彼に下り、彼の腕にかかっていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、そのなわめが手から溶け落ちた。(14節)のです。
サムソンは、生新しいろばのあご骨を見つけ、手を差し伸べて、それを取り、それで千人を打ち殺した。(15節)
アニメや歴史物の映画などでは、腕力のあるヒーローが一人で千人を倒すような荒唐無稽なスペクタル場面が、観客をわくわくさせます。この聖書箇所は、場面状況も視覚的で生々しく、まるでエンタテイメントのシナリオのようです。
サムソンは、気を良くして歌います。
「ろばのあご骨で、
山と積み上げた。
ろばのあご骨で、千人を打ち殺した。」(16節)
ろばと山は、ヘブル語で同じオン(ハモール)なので、ここはごろ合わせになっているそうです。(新実用聖書注解) ごろ合わせの歌が出てくるほど、サムソンには余裕があったのです。
ところが、敵はあとからあとから押し寄せます。サムソンはのどの渇きを覚え、さすがにエネルギーが切れそうになって、主に叫びました。
「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えられました。しかし、今、私はのどが渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」(18節)
すると、神はレヒにあるくぼんだ所を裂かれ、そこから水が出た。サムソンは水を飲んで元気を回復して生き返った。それゆえ、その名は、エン・ハコレと呼ばれた。それは今日もレヒにある。(19節)
こうして、サムソンはペリシテ人の時代に二十年間、イスラエルをさばいた。(20節)
ろばのあご骨のような「武器」で、千人を倒すとは痛快です。同じような話が士師記3章31節にあります。エフデのあとに士師となったシャムガルが、牛の突き棒でペリシテ人を六百人を打ったと記されています。
サムソンやシャムガルは、今日でいえば、超一流のフットボール選手、超一流のレスリング選手、最高段位の剣道選手を合わせたような、強力で俊敏な体力体格をもっていたのは間違いなさそうです。しかし、大きな戦いで、手近にあるろばの骨や突き棒を使わなければならなかったところに、当時のイスラエルの弱さが見えます。
聖書では、イスラエルは神が選んで育成されている「神の民」の国ですから、つい最強のイメージを描きたくなるのですが、じつは、とても弱小国だというのがわかります。
それから、二十年間イスラエルを治めたサムソンは、救国の英雄でした。