イギリスの友人からメールが入った。
お姉さんのJean さんが亡くなったとのこと。
先週の水曜日に亡くなり、木曜日に、「あちこちにメールを送ったのだけれど、
届いていなくて、もう一度送ります。本当にうっかりしていて、ばかね」
その意味は、メールを一度書いて「送信」をクリック。そのあと、もう一度、
送受信の画面で、「送信」をしなければならないのを忘れたのかもしれません。
ときどき、わたしも、失敗するのです。
亡くなったのは、彼女の実のお姉さんだから、相当ショックだったようです。
そういえば、二か月ほど前に、メールの端っこに、お姉さんが入院したと書いていたような。
友人は、とてもしっかりした人で、若くして結婚、
大家族を作り、財産も築いて、落ち着いた老後を過ごしている。
日本に来たがっていたのに、
10年ほど前に、ご主人ともども、心臓、肺などに病気が出て、
長時間のフライトを、お医者様から禁止されてしまった。
★
だんだん、親しい人たちが老境に入っていくということは、自分も老いていることです。
彼女の落胆は、他人ごとではない。
私も、ここ十年で、友人を何人も見送っている。
若い時から親友で、夫婦で出歩いた友人のご主人が亡くなった時には、ショックだった。
みな、きわめて活動的で、健康で、平均寿命まで、まだ10年はあった。
心も、直ぐな人たちで、社会にも貢献した人たちだった。
★★
「時間があれば便りをください」と、いつにない催促が書かれていたので、
つたない英語で、折り返しの返事を書いた。
最近、自分の妹もちょっとした交通事故を起こしたこと。
車が大破した割には、ひとりのけが人もなかった。
いずれにしても、
私たちの人生には、いつ、何があっても不思議ではないと思った。
この夏、友人のお嬢さんと孫さんたちが来日し、
我が家でささやかな食事もお出ししたけれど、
友人と私は、もう、会えないかもしれない。
もちろん、気持ちの中では
すべては神の御手の中にあると、納得していますが、
別れが、悲しみであるのは、事実ですね。
★
全盛期のイスラエル王国の王ソロモンは、
次のように書き残しています。
天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、
植えたものを引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、
石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、
抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、
縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
(旧約聖書・伝道者の書3章1節~8節)
ソロモンの年表
BC990年頃、誕生、BC971年父ダビデの後を継いで即位。
BC966年――BC946年頃、神殿、王宮の建築。BC931年没。
(新聖書辞典より)
、