人によって、幸せを感じる時というのは異なるのでしょうが、
私は、一人でいる時に、「楽しいこと」が多い気がします。
人の心には、神によってしか満たされない空間があるといわれています。
だから、神に祈ることができる動物は、人間だけなのです。
人間だけが、神に祈り、神様との会話ができる?
たしかに、そのとおりなのです。
「神がいると(仮定)して、祈ってみます」という方がいます。
それは、ほとんど論理的にも破たんしています。
電車が走っているとして、東京駅まで行ってみますと、ストライキでもないのに言うようなものです。
電車が走っているから、電車に乗れるのです。
同様に、神様がいらっしゃるから、祈れるのではないでしょうか。
聖書は、のっけから、書いています。
はじめに神が天と地を創造した。(創世記1章1節)
神様は、自分がお造りになった人間をいつも気にかけておられるのです。
また、人の心には、他の人の存在によってしか満たされない空間もあるとのことです。
やはり、聖書は命じています。
自分を愛するように、隣人(となりびと)を愛しなさい。(マタイの福音書22章39節)
その通りですね。
神様の命じられるように、他の人を愛することが難しいのですが、
自分は、他の人から、愛してもらいたいのです。
はるか遠い国を旅していて楽しいのは、ほんとうの天涯孤独ではなかったからにちがいありません。
毎日、私の足跡を見守って下さる神様と、
「気を付けてね」といってくれる家族がいたから。
友人たちに、絵ハガキを出したり、たまに国際電話をかけるのも、楽しみだったし。
でも、一人旅は悪くなかったのです。
今も時々思うのです。
バックパックを背負って、知らない街を、のんびり、とぼとぼ歩いてみたい。
でも、無理かなあ。
むり、むり。と自分が答えています。
体力衰えているし、
タラゴナのように美しく、ひっそりとした観光地は、このネットの時代、もうないかもしれないし。
♪
タラゴナの思い出は、「のんびりとしていて、心から休息した気分」です。
宿は、一階がバル(バー兼カフェ兼レストラン)で、二階がホテルになっていました。
3階4階にも部屋ががあったのか、今では記憶にありません。
やせっぽちのせいでいつもなんとなくお腹を空かせている身では、階下で食事ができるのは助かるのです。
スペインの人は美男美女が多いうえに、とにかく笑顔がいい。それも率直な笑顔です。
バルのマスターは、闘牛士でも連想させる身のこなしと、ふしぎな自信がみなぎっている人。
安ホテルですから、うやうやしくはしてくれませんが、そっけなさそうで親しみやすさがあります。
スペイン語のわからない私が一所懸命英語で話そうとすると、その目はおかしそうに笑っていて、
けっきょく、「シー」「シー」と、スペイン語で返事を返してきます。
最近紹介されているタラゴナは、観光地としてとても洗練されているようなので、
日本語だって通じるかもしれませんが、
当時はとにかく、「地球の歩き方」(ガイドブック)と、自分の足と勘が頼り。
★ ★ ★★ ★
のんびり、とぼとぼ。のんびり、とぼとぼと、海に向かって歩いていると、
突然、闘技場が見えたのです。
あの映画や写真でしか見たことがない、ローマの円形闘技場とそっくりなのが目の前に。
真っ青な海と真っ青な空をバックに、視界の底いっぱいに広がっていたのです!!