ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

タラゴナ2

2016年08月18日 | 思い出


     人によって、幸せを感じる時というのは異なるのでしょうが、
     私は、一人でいる時に、「楽しいこと」が多い気がします。

     人の心には、神によってしか満たされない空間があるといわれています。
     だから、神に祈ることができる動物は、人間だけなのです。
     人間だけが、神に祈り、神様との会話ができる?
     たしかに、そのとおりなのです。

     「神がいると(仮定)して、祈ってみます」という方がいます。
     それは、ほとんど論理的にも破たんしています。
     電車が走っているとして、東京駅まで行ってみますと、ストライキでもないのに言うようなものです。
     電車が走っているから、電車に乗れるのです。
     同様に、神様がいらっしゃるから、祈れるのではないでしょうか。
     
     聖書は、のっけから、書いています。



        はじめに神が天と地を創造した。(創世記1章1節)

      神様は、自分がお造りになった人間をいつも気にかけておられるのです。     


    また、人の心には、他の人の存在によってしか満たされない空間もあるとのことです。
     やはり、聖書は命じています。



        自分を愛するように、隣人(となりびと)を愛しなさい。(マタイの福音書22章39節)
     

     その通りですね。
     神様の命じられるように、他の人を愛することが難しいのですが、
     自分は、他の人から、愛してもらいたいのです。
     はるか遠い国を旅していて楽しいのは、ほんとうの天涯孤独ではなかったからにちがいありません。
     毎日、私の足跡を見守って下さる神様と、
     「気を付けてね」といってくれる家族がいたから。
     友人たちに、絵ハガキを出したり、たまに国際電話をかけるのも、楽しみだったし。

     でも、一人旅は悪くなかったのです。
     今も時々思うのです。  
     バックパックを背負って、知らない街を、のんびり、とぼとぼ歩いてみたい。

     でも、無理かなあ。
     むり、むり。と自分が答えています。
     体力衰えているし、

     タラゴナのように美しく、ひっそりとした観光地は、このネットの時代、もうないかもしれないし。


               


     タラゴナの思い出は、「のんびりとしていて、心から休息した気分」です。

     宿は、一階がバル(バー兼カフェ兼レストラン)で、二階がホテルになっていました。
     3階4階にも部屋ががあったのか、今では記憶にありません。

     やせっぽちのせいでいつもなんとなくお腹を空かせている身では、階下で食事ができるのは助かるのです。
     スペインの人は美男美女が多いうえに、とにかく笑顔がいい。それも率直な笑顔です。

     バルのマスターは、闘牛士でも連想させる身のこなしと、ふしぎな自信がみなぎっている人。
     安ホテルですから、うやうやしくはしてくれませんが、そっけなさそうで親しみやすさがあります。
     

     スペイン語のわからない私が一所懸命英語で話そうとすると、その目はおかしそうに笑っていて、
     けっきょく、「シー」「シー」と、スペイン語で返事を返してきます。

     
     最近紹介されているタラゴナは、観光地としてとても洗練されているようなので、
     日本語だって通じるかもしれませんが、
     当時はとにかく、「地球の歩き方」(ガイドブック)と、自分の足と勘が頼り。


                  ★ ★  



     のんびり、とぼとぼ。のんびり、とぼとぼと、海に向かって歩いていると、
     突然、闘技場が見えたのです。

     あの映画や写真でしか見たことがない、ローマの円形闘技場とそっくりなのが目の前に。

     真っ青な海と真っ青な空をバックに、視界の底いっぱいに広がっていたのです!!

          








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