タラゴナに入る前は、バルセロナに一週間ほど滞在しました。
あの年のバルセロナは格別の活気があるように見えました。
次の年にオリンピックが予定されていました。
郊外の丘の上では、工事のまっさかりでした。
耀くたき火の陰に置かれた小さなローソクのように、タラゴナはひっそりとしていたのです。
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地中海 たけき剣士の 叫び吸い
青い空 恋する女を 抱きしめる
円形闘技場は地中海に面しています。
タラゴナの街の高さと、海岸線までの高低差を利用して造られているようです。
背景に、海と空しかないなんて、すばらしいロケーションです。
視界の端から端まで、目いっぱい、闘技場なのです。
客席がすり鉢状の形を、幾重にも形成しています。
その底で、いのちがけの戦いがあった・・・。
剣闘士と剣闘士。
剣闘士とライオン?
何万もの観衆が、立ち上がり、こぶしを振り上げて叫んでいる。
見たわけではありません。映画か何かの場面がオーバーラップしているのでしょう。
私は、金網に張り付いて、見下ろしていました。
闘技場は、延々と金網に囲われていたのです。
★★ ★ ★ ★
小さなスケッチブックを持っていたので、スケッチを始めました。
対象が立派すぎて、途方にくれながら鉛筆を走らせていました。
建造物を描くのは、私には、難しいのです。
建造物には、威厳があります。押しつけがましいほどの主張があります。
ローマ時代の闘技場です。2000年間もそこにあったものです。
誰かの声が聞こえました。振り返ると年配の男性が首を傾げて、招いています。
少し行くと錠のかかった箇所があって、戸口になっている金網を空けてくれました。
「入って、描きなさい」というわけです。
闘技場に入るのは有料だったのです。
係員は、どうやら、私の描いている行為に免じて
戸を開けてくれたのです。
★ ★★ ★ ★
けっきょく、スケッチは完成しませんでした。
眺めている方が、小さなスケッチブックに執心しているよりはるかに良かったのです。
静かな情景でした。
海には船があり、白波も立っていたかもしれないのです。
いくらかの入場料を払って、場内を歩いている観光客もいたかもしれないのです。
しかし、
いま、私は、土色の闘技場がさん然と海と空に対峙している
あの日を
夢のように、思い出すばかりなのです。