ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

一線を越える

2017年07月31日 | 日記



      国会議員と市会議員の不倫騒動の中で、
      当事者の二人が、「一線を越えていない」と発言していた。
      30歳代の元気盛りの男女、ひとりはバツイチで、もう一人は妻子もちで、
      同じホテルで一夜を過ごした「証拠の写真」があって、
      さらに、新幹線の中で、しどけなく眠りこけている間にも手を握っていて、
      お互い相手に、「好意を持っている」と発言して、

      このような場合の一線とは、どのような線なのかと話題になった。


      『広辞苑』
       一線を越える (いっせんをこえる)
       現状を保つ限界を越えた行動をする。
      それをすれば今までとは全く異なる状況となる行動を取る。

      さすが、広辞苑ですね。よく定義しています。
      お二人は、
      「現状を保つ限界を越えていない」行動をしているつもりだったんですね。

      でも、密会が公になったために、現状を保てなくなったのだから、やっぱり
      「一線を越えた」のではないでしょうか。

      また、ただの同僚、友人ではなくなっているようですから、
      やっぱり一線を越えているのではないでしょうか。

           ★★

      もっとも、ネットには、次のような解釈もありました。

      「自分で「こうだ」と決めたラインを越えること」
      自分でこうだと決めたラインが一線だったら、
      殺人でもなんでもできてしまう。

      まあ、むかしから、
      「盗みはするが、強盗(人殺し)はしない。」とか、
      「体は売るが、こころは売らない」とか、
      金持ちから奪うが、貧乏人からは盗らない。


      とか、それぞれのところに一線があったんだ!!!
      として、
      おふたりがいったい、何を一線だと言っているのか、
      ますます巷をにぎわせているのは、彼らも想定外ではないでしょうか。



         
       

      
       
    


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