ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

クリスマスまで一週間

2015年12月17日 | 聖書



       このところ、超忙しくて、なかなか記事の投稿ができません。

      訪問して下さる方々に、心から感謝を申し上げます。

      何が忙しいのでしょう?
  
      一つは、プライベートの仕事。

      もう一つは、来るべきクリスマスの準備です。

      クリスマスのチラシを、ふたたび掲載させてください。

      もし、よろしければ、足を運んでください。



      


      町田クリスチャンセンターでは、
      
      12月23日の祝日の夜を、クリスマスホーリーナイトとして
      たくさんのイベントをご用意しています。

      キャンドルサービス、聖歌隊によるクリスマス賛美歌、
      MCC劇団による聖書劇「世界ではじめのクリスマス」

      牧師によるクリスマスのメッセージ

      それに、温かいお飲み物をたっぷりご用意しているクリスマス・カフェ

      おいしいケーキのお土産もあります!











ゆずの季節

2015年12月15日 | 季節




                  ゆずをもらった。

          

               「レモンを手に入れたら、レモネードを作ろう」と言う人がいた。
               さあ、ゆずで、何を作りましょう。


                 



            ゆず湯、  これは、風呂ではなくて、レモネードのゆず版、
            ゆずジャム、これはいい! さとうも買い込んでいるし・・・、でも、ちょっと手がかかる。

            鍋物    汁を酸っぱくするだけで、しょうゆはほとんど使わなくて済む。
                   血圧対策? まあ、まだ大丈夫だけど、早め早めの健康対策、
           
            酢の物   テレビで寿司酢にゆずを使うとやっていました。
                   ホンマかいな。それなら、もっと、ゆずが要る。
 
            なます   大根のなますに入れてみよう。
                   これは、もうおせちの準備の一環。

                
     
                   その前にクリスマス

                   一品持ち寄りパーティで、

                      ほんとうは、ゆずケーキなんか作って行って、
                   バーンとテーブルに出したい!ような・・・
                   イメージはわくけど、レシピが問題ですねえ。
   


             ちょっと聞くけど、あなたたちは何になりたいの?      


          
      

           
           

                       Z Z Z Z Z・・・









蜘蛛

2015年12月07日 | 自然



      小さな虫が一匹、白い壁を這っている。
      体長5ミリほど。

      ギョッとして、睨みつけると、先方はピタッと止った。
      ゴキブリの幼生のようにも見える。

      これは捨て置けない。ゴキブリはいないはずだったし、もし
      一匹いるなら、たくさんいるはずだ。

      メガネを掛けて見直した。
      なんと、蜘蛛だった。
      間違いなく、足が8本あるのを、何度も確かめた。

      さて・・・ゴキブリなら、ティッシュでつかんで潰してくれようぞ!と思うのだけど、

      蜘蛛はどうすべきなんだろう。
      それにしても、どこから入ってきたのか。
      「親はどこにいるの~」
       と聞きたい気分だった。

      大きな蜘蛛など見たこともないし、第一こんな家の中では、
      将来巣を張っても、やぶ蚊もかからないよ。
      きっと飢え死にする・・・。

      つまんで外に捨てるのが一番いいけど、ティッシュでつまんだら潰れそうだし、

      どうしよう。どうしようと、考えている間に
      見えなくなった!

      でも、半日も経って、ふと、進入路の見当がついた。
      一か月ほど前、古道具屋で古い小さな戸棚を買った、と言うより、もらった。

      ちょっとアンティークで、ぬりは剥げ、形はびくともしていないけれど、とても汚かった。
      何度も拭いたつもりだっが、抽斗すべてと枠を、半日でも陽の下で干したわけではない。

      明日は、ベランダに出して、日差しと風に当ててみよう。
      まだ、中に、蜘蛛の兄弟姉妹がぞろぞろ残っているかもしれないし。


        神様!



       
      

あなたは私を知っておられます

2015年12月05日 | 聖書



     主よ。あなたは私を探り、
     私を知っておられます。

     あなたこそ私のすわるのも、
     立つのも知っておられ、
     私の思いを遠くから読み取られます。

     あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、
     私の道をことごとく知っておられます。

     あなたは前からうしろから私を取り囲み、
     御手を私の上に置かれました。

     そのような知識はは私にとって
     あまりにも不思議、
     あまりにも遠くて及びもつきません。


     私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。
     私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。

     たとい、私が天に昇っても、そこにあなたはおられ、
     私がよみに床を設けても、
     そこにあなたはおられます。

     私が暁の翼をかって、海に住んでも、
     
     そこでも、あなたの御手が私を導き、
     あなたの右の手が私を捕えます。

     たとい私が、
     「おお、やみよ。私をおおえ。
     私の回りの光よ。夜となれ」と言っても、

     あなたにとっては、やみも暗くなく
     夜は昼のように明るいのです。
     暗やみも光も同じことです。


     それはあなたが私の内臓を造り、
     母の胎のうちで私を組み立てられたからです。

     私は感謝します。
     あなたは私にくすしいことをなさって
     恐ろしいほどです。
     私のたましいは、それをよく知っています。

     私がひそかに造られ、地の深いところで仕組まれたとき、
     私の骨組みはあなたに隠れていませんでした。

     あなたの目は胎児の私を見られ、
     あなたの書物にすべてが書きしるされました。
     私のために作られた日々が、
     しかも、その一日もないうちに。
                      (旧約聖書・詩篇139篇1節~16節)



        神さまは、私たちひとりひとりを知っておられる。

        受胎したばかりのその日から、
        私たちの成長を        
        だれもが見ることのできないすべてを、見ておられ、
        神様の書物に書きとめられた
       、
        と言うのです。

        そうして、もちろん、それは今も、
        いくつになっても、
        どこにいても、
        なにをしていても、
        変わらないのです。

        私たちをごらんになって、
        私が座るのも、立つのも、眠るのも、はしゃぐのも、
        つぶさに見ておられるのです。


        まるで、影のように?
        いえいえ、まるで、空気のように私を包んで下さって、
        
        たとえ、「大きなお世話」だと、部屋の明かりを消して見られまいとしても、
        頭を抱えて小部屋に隠れようとも、
        神様にとっては、真っ暗闇も暗くないと言うのです。

        不思議であり、感謝です。
        


  

        







暗やみから光へ

2015年12月04日 | 聖書



         ベランダ越しに見える桜の木々が、「最後の一葉」状態です。
       風があるので、夕方までにはすべて落ちて、完全な裸木になることでしょう。



         風うなる 空見上げれば 宇宙あり

        風うなる 青空ひかる きらきらと

        裸木よ 豊かな陽射し 知らぬげに

         (以前にこのブログで出したことがあるのですが、今の自分にぴったりくるので。
         俳句は素人です。素人は、天真爛漫に自画自賛しやすくて、これも幸いです!)


                  ◎★
 


      何となくあわただしくて追い立てられるような気がする12月ですが、でも、悪くないですね。
      「底を打つ」ことがないと、自分のような人間は、なかなか「天を見上げる」ことをしません。


      イエス・キリストの誕生日が12月という記録は聖書にはないのを承知で、
      私たちは12月にクリスマスを祝います。

      クリスマスの日についての解説をウィキペデアから、お借りします。

      キリスト教においてもクリスマスは「降誕[10]を記念する祭日」[3]と位置づけられており、
      「イエス・キリストの誕生日」と考えられているわけでは無い。イエス・キリストが降誕日
     がいつにあたるのかについては、古代からキリスト教内でも様々な説があった.
(例えば3世紀の初めの頃には、アレクサンドリアのクレメンスは5月20日と推測していた)[3]。



      当時の住民登録は今のような厳格なものではありませんし、

      公的文書に、
      貧しく若い大工の夫婦の赤ん坊の出生を記録するような習慣もなかったと思われますから、
      私たちは、生誕の事実をお祝いするのです!!