7/16 小島という恐竜
ジェラシックパークの映画でもう一か所、書かねばと思ったところがあった。
映画の中ではいつまでも客を集めるために、より強い恐竜を作り続けていた。
あちこちのDNAを集めて、1つの恐竜にするのだ。
そんな中に暴走した巨大恐竜がいた。
この恐竜はガラスの檻の中に生まれたときから1匹で入れられ
餌はクレーンで大きな肉の塊を上からつるして与えられていた。
人との接触は皆無だ。
この恐竜作りをしていたのが子供たちのおばさんだ。
おばさんは子供たちのお母さんの妹なのだ。
ひょんなことからおばさんは元彼に出会い、
その元彼がこの恐竜の檻のあるところに来た。
男は恐竜の扱われ方に眉をひそめる。
そして、ガラスに恐竜がひっかいた跡をみつけたのだ。
おばさんはまったく気にしていない。
そんなときに、檻の中で恐竜に埋め込んだセンサーの反応がどこにもないのに
気がついて、おばさんは大騒ぎをする。
話はちょっと飛ばす。
人間は中に入り、噛み切られたセンサーのくっついた肉片をみつけた。
恐竜は自分にセンサーが埋め込まれているのを気がついていたのだ。
そして恐竜が逃げ出したように細工したのがわかった。
さて、ジェラシックパークはこの辺でいい。
人間でも保護犬・保護猫でも、一人ぼっちでほっておかれると心が恐竜化するのだ。
猫や犬なら、時間はかかるけどやがて人間に信頼を持つようになるけど
案外厄介なのが人間なのだ。
小島って新幹線内で、人を殺そうとして、実際に男性一人を殺害した。
父親は中学ころから手がつけられなくなったと言った。
そのあげく、子供の祖母に預けた。
小島のことはあまり報道されていないから、なにも断定するようなことはない。
でも、中学の事点前に小島には何かあったのだ。
恐竜が暴走したように、親は気がつかないで子供を暴走させる原因を作ることがある。
肝心なことはおばさんが恐竜を生き物であることを忘れていたように、親は子供に無関心なのだ。
映画ではそんなことは言わなかったけど、おばさんは恐竜がロボットか何かみたいで、
恐竜に感情などないと思っていたのかもしれない。
あの殺された目黒の5歳の子が生き延びたらどんな子になっただろうと思わずにいられない。
正常な子なら、もろもろの問題があっても、自分で結構克服するけど
そうでない場合は、小島のようにもなりうる。
小島を追及すると同時に親・祖母ともたくさん話しどういう接し方をしてきたか、
詳しく聞き出してほしい。
ジェラシックパークは作られた想像の産物だけど
愛情を持って接することで、人間とそれ以外の生物でもコミュニケーションが可能な
場合も多いのだ。
シムラ動物園を見てごらん。
保護犬、保護猫がどんなに愛情に飢えていて、やがて慣れてくると、
猫も犬もベタベタに甘えてくる。これで健全に戻るのだ。
でも人間は大きくなると、幼児に戻って甘えるなんて、不幸にしてできない。
でも、よりかかっていいんだよ、とか、心を和ませる手段はあるはずだ。
そうなると、トレラはどういう子供時代を過ごしたのか問たくなる。
私が帰国して10年以上も経って、語学が得意でもなかったトレラが日本に来ることを
思いついた。
結局、医学に進むという”夢”は捨てて、私の周辺にいることで人生を棒にした。
正常な人間なら、考えられない行動なのだ。
私は付き合ったわけではないからトレラのことは全く知らない。
だけど、直接にセックスするわけではなく、電磁波で間接的に私に触り続けたい
欲求は消えない。
消えないのだ。 ここが不健全だと思う。
パリにいたころ、24時間私のことを知りたいと友達に言った。
あるレストランで横の席でトレラの友達が言ったのだ。
24時間知りたから、24時間触り続ける?
自分のことを覚えているとどう確信したのだろう?
普通の人は個人的に付き合いをしたのでもない相手と10年も離れていたら
自分の人生を棒にふるリスクも忘れて、異国にまで来るだろうか?
この異常さ、病的さはジェラシックパークのあの恐竜とも、小島とも違う異常さななのだ。