母親が亡くなるまでの内容なので、読んで辛くなりそうな方はスルーしてください。
まだ小康状態の頃、気がついたら荷造りしてたし大笑い😆
年が明けて初めての訪問診療時に首のシコリが大きくなりジクジクしてきたので薬を塗りガーゼをする事になる。
訪問看護とリハビリでマッサージをしてもらってるが右足の浮腫みで立ち上がりにくく、歩きづらそう。
だんだんと食欲が減り寝てる時間が増えてくる。
1月20日頃熱が出て訪問看護に連絡。
すぐに来てくれコロナとインフルエンザの検査をしてもらうも陰性で腫瘍熱と言うらしい。
肩で息をする事が増えた為、パルスオキシメーターを購入。
母親の熱も落ち着いてきたし、壬生寺の節分会へ。
何より母親に行くって言うたら「行ってくれるんか〜」て喜んでた。
うちは無病息災、弟家族は心願成就、て字が汚い💦
書きづらい筆やねん🖌️
近所の電気おばちゃんから鉄火巻きとスパサラ、牛乳寒天が届く。
それと買ってきた海鮮巻きにサラダで豪華な節分の夕飯になりました。
母親は巻き寿司が好きやし嬉しそうに食べてました。量は少ないけど…。
節分過ぎから母親が食べた物を記録する。
メイバランスは6大栄養素が入ってて高カロリーやから母親に少しづつ飲ませる。
布団で食べさせたり、飲ませる時は私の背中にもたれてました。
横になっている事が増えてきたし、2月中頃に
介護ベッドをレンタル🛏️
母親がベッドはいらないとずっと言うてきたし、このタイミングになったけど、もう少し早く借りたら良かった。
最後までベッドはって言うてたけどレンタルやしいつでも返せると言うたら納得してくれた。
ポータブルトイレは購入しないといけない為、一旦お試し中🚽
虫垂癌から肺や肝臓、リンパに転移したに事より、リンパの流れが悪くなり右足が浮腫み、右の首に大きなシコリができてるんやけど、お腹とかにも出来てきて、夜間せん妄もあり雨が降ってると言ったり、誰かと話してたり…。
父親の仕事の相棒はずっと2階で仕事をしてはるんやけど、奥さんがヘルパーをしてはることもあり、毎日のように様子を見にきてくれる。
パルスオキシメーターが90%前後になり呼吸が苦しそうで、首のシコリもかなり痛そうな為、訪問診療をお願いする。
お医者さんが来てくれ、すぐに酸素が吸えるように手配してくださり、痛み止めも医療用麻薬と眠剤もでる。
肺に水が溜まっているけど、取れるほどの量ではないとの事。
酸素の管が嫌みたいで取ろうとするけど、次の日からは慣れたようで取ろうとせえへんけど、メガネと間違ってた。
手すりにしろ、ベッドにしろ、酸素にしろ、嫌がるねんけど適応能力は凄いと噂されてました(笑)
訪問看護とリハビリは日曜日以外、毎日朝夕どちらかが来てくれるようになる。
こうなってきたらリハビリはいらないのでは?て思ったけど、床ずれができないようにとか、嚥下訓練とかでやっぱり必要。
お水も誤嚥せえへんようにトロミをつけるようになり、飲ませる時は目を開けるよう呼びかける。
酸素を吸うと喉が渇くようで、しょっちゅうお水が飲みたいと呼ばれるけど「美味しい。美味しい。」言いながら飲んでる。
排尿、排便、痛み止めの記録をつけ出す。
どんなにしんどくても、排尿だけはポータブルトイレでないと出ないよう。
YouTubeで勉強した私の慣れない力任せの介護にも良く耐えてた。
ヘルパーさんをお願いし仕事に行ってる時にお昼に来てもらい昼食とポータブルトイレへの誘導依頼。
したんやけど、お医者さんにこの1、2週間で何が起こってもおかしくない。会わせたい人がいれば早めにと言われたし、会社を休むことにする。
ヘルパーさんには予定通り来てもらい、来てもらってる間に買い物とか用事をしてました。
弟家族もすぐに来て会ったんやけど、認知症も治った?て思うくらいキレのあるトークしてたw
痛みが辛そうで、夜中も痛みや喉の渇きで目が覚め呼ばれる。
医療用麻薬含め3種類の痛み止めをどれが効くか試しつつ飲ませる。
訪問看護でベッドの上で洗髪してもらう。
ペットボトルの蓋に穴を開けてシャワー替わりにし、おむつで水を吸い取って上手いことしはる。
ちなみにペットボトルはポータブルトイレでのウォシュレット替わり(陰部洗浄)にも使ってはった。
弟の嫁さんオススメの保温調理器を買い
おでんを作る🍢
おでんの大根が食べやすかったようで、美味しい美味しいと食べてくれました。
亡くなる3日前の夕飯で缶ビールをプシュっと開けると「何飲んでるの?」と。
ビールやけど飲むか?て聞いたら飲む言うしスプーンで3口ほど飲ませる🍺
少しして、さっきの美味しいのまだあるか?て聞くしまた2口飲ませたら満足してた。
亡くなる2日前は訪問入浴で久しぶりのお風呂入りました🛀
畳1畳分の広さがあれば大丈夫だそうで、浴槽が家に入り母親は担架で運ばれてそのまま入浴🧼
それまでは体を拭くくらいしかできず、それでも気持ち良さそうにしてたけど、病状が悪くなってからはあまり出来ず。
久しぶりにスッキリして、髪の毛もブローしてもらってた。
その日の午後は母親の弟と妹が来て楽しい時間を過ごしてました。
そういや夜中呼ぶ時、妹の名前を呼んでる時あったな。
亡くなる前日はトイレに行きたい言うし、朝からポータブルトイレに移すけど足に力が入っておらずフラフラ。
朝、昼だけしか食べず、トイレの後はずっと寝てて、水も欲しいと言わず。
ずっと寝てはいたけど息苦しそう。
夜はパルスオキシメーターが反応せえへんし訪問看護に電話。
脈は触れてて、速さも私と変わらへんし様子を見る事に。
夜も良く寝てて1度変な呼吸をしてるなぁと目が覚めて様子を見にいったけど、すぐに治ったし久しぶりに朝まで寝させてもらえた。
そして朝、起きると寝息が聞こえへんし飛んでベッドに行くと脈も触れず、顔を触ると冷たくなってる。
すぐに訪問看護に連絡すると、おそらく亡くなられてると思うので電気毛布を切っとくように言われ、お医者さんに連絡してすぐに来てくれるとの事。
早朝やったのに1時間かからずで来てくれ脈など看護師さんが出来る範囲の確認をし酸素を止め、体を拭いて、服を着替えさせました。
そうこうしてるとお医者さんが到着し死亡確認してくださりました。
比較的、辛い時期も短く、亡くなる時も苦しまれてないと思いますよ。とおっしゃってくださいました。
スプーンでビールを飲んだんですよと報告したら喜んでくれはった。
お酒好きって言うてはりましたもんねぇ。
お医者さんは来るたびに家にいますか?入院しますか?て聞いてくれてはった。
母親は分かりません。て答えてたけど…。
初めから来てくれてた訪問看護の看護師さんが、緊急電話の担当やったのも良かったです。
その看護師さんは契約から立ち会い、主担当になったのは母親が初めてやったそうで、2人で思い出話をしながら一緒に体を拭いて服を着替えさせる事ができたのも家で看取れたからやしなぁ。
訪問診療、看護、リハビリなど在宅医療って凄いなと思った約半年間でした。
そして、看護師さんも理学療法士さんも若い!
訪問看護に良かったら顔を見に来てくださいって連絡したら、忙しい中3人も来てくれ、思い出話しをしたり、浮腫んでた足がどうなってるか見てくれたりと温かい方達でした。
母親はずっと口をあけて呼吸してたのに最期は少し微笑んでいるような穏やかな顔をしており、口もとじてました。
その顔を見たら家で良かったかな。
会社を休み迷惑かけたりと母親の妹や仕事の相棒の奥さん、近所の電気おばちゃんなどなど色んな人に助けてもらったお陰です。