引き続きこんちゃんのお城めぐりにお付き合いください😊
第二曲輪にきました😊
長浜城跡の中で最も広い曲輪なんだそうです😌
第二曲輪の土塁です😊
現存する土塁底部の幅から考えると第二曲輪の周囲には1m以上の高さの土塁が巡らされていたと考えられているそうです😌
長浜城跡の土塁は重須側(陸側)だけにあり長浜側(海側)には造られていないそうです😌
第二曲輪の土塁から虎口を見下ろしています😊
高いですねぇ😌
攻めてくる敵をここから攻撃しちゃうんですね😊
この側面攻撃の仕組みは横矢と呼ばれ北条氏の城郭で盛んに用いられた方式なんだそうです😌
第二曲輪では第一曲輪の裾に沿う形で設けられた堀があり櫓が復元されていました😊
堀は敵の進入を防ぐために一部を畝として残しながら1.5mの深さまで掘り込まれていたそうです😌
堀と櫓とを組み合わせて第一曲輪を守る施設であったようです😊
復元した櫓は発掘調査で発見された柱穴の上に正確に建てられており角度が急で狭い階段や半地下式の構造も当時の状況を推定して再現したそうです😌
明確な証拠はないそうですが海側を見張る役割と第一曲輪と第二曲輪を連結する登り口の役割の両方を兼ね備えていた櫓であったと推定されているそうです😌
第一曲輪への通路口は発見できなかったそうで第二曲輪から第一曲輪へ行くための整備に階段を設置するのでなく櫓を復元しているのはとても素晴らしいと思います😊
櫓を登って第一曲輪にきました😊
長浜城の中で最も高いところに位置しています😊
ここでは北条氏の敵城である三枚橋城の監視や水軍の指揮が行われていたと考えられているそうです😌
第一曲輪からの眺めです😊
せっかくですからみんなで記念撮影しました😌
西から延びる長井崎と北東の淡島の向こうに沼津が見えています😊
武田氏が三枚橋城を築いて水軍を配置すると北条水軍は梶原備前守景宗を大将として特別な軍船隊を置いたそうです😌
伊勢出身の景宗は当時西国で発達していた安宅船と呼ばれる大型軍船の運用を得意としていたそうです😌
長浜城は景宗の指揮する安宅船船隊の基地として整備されたそうです😌
実際に武田水軍との駿河湾海戦があったそうですよ😌
第一曲輪から海に向かって延びる尾根上に大小4つの曲輪あるそうです😊
見に行きましょう😊
階段状に直線的に配置されています😊
第一曲輪に付属する施設とみなされることから腰曲輪と呼ばれているそうです😌
海まで下りてこられちゃいました😊
ヨットがたくさん停泊しています😊
戦国時代の軍船も城の周辺に停泊していたと考えられているそうです😌
腰曲輪から第一曲輪を見上げています😊
長浜城は水軍同士の戦いを支える海城という性格をもっていたため海に突き出たこれらの腰曲輪群は海側から城内に攻め込もうとする敵を撃退する役目を持っていたのだろうと考えられているみたいです😌
重須側に回ってきました😊
下のガイダンス広場では長浜城にあったとされる軍船安宅船を原寸大で表示しているそうですよ😌
上から見ても大きいですねぇ😌
ここには竪堀があったようです😌
土がたまって浅くなっていますが本来は岩盤を削ってつくった深いものだったそうです😌
竪堀とこの上にある第一曲輪を守る堀が接した部分には畝状の掘り残しがあり敵がこの竪堀の底を通って第一曲輪を守る堀に登れないようにもしているそうです😌
第二曲輪まで戻ってきました😊
北条の水軍のお城とてもステキでした😌
復元された櫓と海の景色を眺めながら在りし日のお城を思い浮かべてみましょう😌
上から見た重須側のガイダンス広場にきました😊
以上で長浜城跡のお城めぐりはおしまいです😊
今回もとても楽しかったです😊
それではまたどこかのお城めぐりでお会いしましょう😊
こんちゃんがお送りしました😌