こんにちは、こんちゃんです😊
もう少しお付き合い下さい😌
天神の丸跡を後にして、大松山城跡に向かって進んで行くと、突然石垣の石らしき物が現れました😊
「石垣積直し工事で使用する築石を置いています」と看板に書いてありました😌
さらに「解体前に番号付けをおこない、清掃後、墨書、プレート付けし、ここまで運んでいます」と解説されていました😊
この近くで石垣の解体修理を行っているのでしょうか😃

すぐ先に「大池の整備工事を行っています」との看板を発見しました😊
見に行ってみましょう😃

こちらが大池です😊
史跡備中松山城跡 大池発掘調査現地説明会資料によると、
大池は大松山城跡と天神の丸跡の間の谷部(標高443m付近)に築かれた総石垣の池なんだそうです😊
平成28年度、29年度の2回の発掘調査で、池の構造や規模を確定することができ、「全国の城郭の中でも最大の貯水池」であることが判明したそうです😃
石垣の積み方や使用している石材から、何度も修理された形跡をうかがうことができ、江戸時代を通じて修理を行いながら池を保ってきたことがわかるようです😊
今また石垣の積直し工事をして保ってゆくのですね😌

大池を過ぎると、大松山城跡まではすぐそこです😊
さぁゆきましょう😃

大松山城跡に到着しました😃
標高470mの大松山山頂と西に延びる尾根上に位置しているそうです😊
延応2年(1240年)に有漢郷の地頭であった秋庭三郎重信が築城したと伝えられているようです😌

大松山城跡の石碑がありました😊
臥牛山でははじめて城が築かれたところで、中世城郭の遺構が残っているそうです😃

奥に進んでゆくと、井戸と考えられる石組遺構がありました😊
きれいに残っていますねぇ😌

東西に連なる6ヵ所の平坦面がみられ、周辺には腰曲輪と考えられる小さな平坦面が数ヵ所あるそうです😊
平坦面は東から本丸、二の丸、三の丸と呼ばれているそうです😌
この曲輪が本丸みたいです😃

本丸から二の丸を眺めています😊
本丸と二の丸の間に堀切が存在する可能性が高いそうですよ😌

そしてこちらが二の丸と三の丸の間にあった堀切みたいです😃
発掘調査によってこの堀切は箱堀状であることが分かったそうです😊
中世城郭はやはり土の城なんですねぇ😌

この先にも曲輪があるようですが、道もだいぶあやしくなってきましたので、ここまでにしました😌

大松山城跡からつり橋に寄って、30分ほどかかって近世城郭の「備中松山城跡」へ戻って参りました😊
近世城郭から時代を遡り、お城めぐりをして、再び近世城郭へ戻ってくるなんて、タイムトリップしたみたいですね😌

備中松山城跡は土の城も石垣の城もめぐれて、盛り沢山なお城めぐりができました😊
本丸裏から…

二の丸に出ました😊
二の丸入口の鉄門跡からは麓の街が見えました😌

二の丸の右端に、「国指定重要文化財 高梁観光百選 備中松山城」の石碑を見つけました😃
最初に通った時には気が付きませんでした😅

二の丸から三の丸へ下りる途中にある厩曲輪から大手門跡を上から眺めました😊
上から見下ろすのもいいですねぇ😌

土塀の四角い矢狭間から大手門跡を見下ろしています😊
ここからなら狙えますよ😌

最後に三の平櫓東土塀の前から石垣を見上げ、在りし日のお城の姿を思い浮かべながらお別れしたいと思います😌

とても楽しいお城めぐりでした😃
それではまた次のお城めぐりでお会いしましょう😊
こんちゃんがお送りしました😌