おでかけ大好き!ピースくん

ぼくピースくんが色んな所に遊びに行った写真を発表しま~す!

元森の巨人と昼ごはん(2023年3月)

2023年04月16日 | 岡山におでかけ
ピースくんだよ😊
こんちゃんに付き合って、山の中をうろうろしてたら、すっごくおっきな木が倒れてたの💦
そのそばには「元森の巨人100選 臥牛山のアベマキ」って看板が😥
森の巨人、切られちゃってた😓
切らなきゃ危なかったのかなぁ😞
推定樹齢350年だって😌

お昼の時間とっくに過ぎて、おなかももうペコペコ😞
お昼ごはんにしたいんだけど、こんなに山の中来ちゃってどこかに眺めのいいとこないかな~😊
大池の先に吊橋があるみたいだよ😃
行ってみよう😌

うわぁ~、吊橋の入口部分が檻みたいになってるよ😅
なんか閉じ込められそうで怖いなぁ💦

立派な吊橋だったけど、渡った先にも近くにお弁当ポイントは無さそうだなぁ😅

とゆうことで、20分ぐらい歩いて、備中松山城の二重櫓のとこまで戻ってきたよ😊
ここでやっとお昼ごはん😌
こんちゃんとぺろちゃんと一緒😃

今回はセブンイレブンで買ってきたの😊
真あじ一夜干し御飯、パリパリ大根、辛子明太子おにぎり😌
いっぱい歩いて汗かいたからしょっぱいものがおいしかった~😋
こんちゃん「あじですか😋ワタシもご相伴します😌
ぺろちゃん「おいちいでしゅよ😋」

こんちゃんのお城めぐり全然終わんないんだもん😅
念のためお昼ごはん買っといてよかったなぁ😊
ごちそうさまでした😌

備中松山城のスタンプ(2023年3月)

2023年04月16日 | ぺろちゃんのスタンプだいすき
ぺろちゃんでしゅ😊
備中松山城に来まちた😌
ここは、日本100名城でしゅから、ペタコン絶対あるでしゅよ~😃

入城券売り場に100名城スタンプありまちたよ~😃

ぺタコ~ン❗❗

備中松山城の天守でしゅ😌
現存12天守のひとつでしゅね😊

次は天守の中に探ちに行きましゅ😃

入ってすぐのとこにありまちた~😊

パンフレットの中にスタンプ用紙が入ってまちた😃
ぺタコ~ン❗❗
…こんちゃん何ちてるんでしゅか?😅
こんちゃん「おかまいなく😌
石垣を眺めています😊」

二の丸から見た本丸でしゅね😌
年季が入ってまちたので、字がつぶれちゃってましゅ😅
多分「日本一高所に現存する山城 備中松山城 登城記念」って書いてあると思いましゅ😊

スタンプ用紙に登城記念の日付スタンプの押しゅ場所がなかったので、こちらに押ちまちた😌


備中松山城・4(2023年3月)

2023年04月16日 | こんちゃんのお城めぐり
こんにちは、こんちゃんです😊
もう少しお付き合い下さい😌
天神の丸跡を後にして、大松山城跡に向かって進んで行くと、突然石垣の石らしき物が現れました😊
「石垣積直し工事で使用する築石を置いています」と看板に書いてありました😌
さらに「解体前に番号付けをおこない、清掃後、墨書、プレート付けし、ここまで運んでいます」と解説されていました😊
この近くで石垣の解体修理を行っているのでしょうか😃

すぐ先に「大池の整備工事を行っています」との看板を発見しました😊
見に行ってみましょう😃

こちらが大池です😊
史跡備中松山城跡 大池発掘調査現地説明会資料によると、
大池は大松山城跡と天神の丸跡の間の谷部(標高443m付近)に築かれた総石垣の池なんだそうです😊
平成28年度、29年度の2回の発掘調査で、池の構造や規模を確定することができ、「全国の城郭の中でも最大の貯水池」であることが判明したそうです😃
石垣の積み方や使用している石材から、何度も修理された形跡をうかがうことができ、江戸時代を通じて修理を行いながら池を保ってきたことがわかるようです😊
今また石垣の積直し工事をして保ってゆくのですね😌

大池を過ぎると、大松山城跡まではすぐそこです😊
さぁゆきましょう😃

大松山城跡に到着しました😃
標高470mの大松山山頂と西に延びる尾根上に位置しているそうです😊
延応2年(1240年)に有漢郷の地頭であった秋庭三郎重信が築城したと伝えられているようです😌

大松山城跡の石碑がありました😊
臥牛山でははじめて城が築かれたところで、中世城郭の遺構が残っているそうです😃

奥に進んでゆくと、井戸と考えられる石組遺構がありました😊
きれいに残っていますねぇ😌

東西に連なる6ヵ所の平坦面がみられ、周辺には腰曲輪と考えられる小さな平坦面が数ヵ所あるそうです😊
平坦面は東から本丸、二の丸、三の丸と呼ばれているそうです😌
この曲輪が本丸みたいです😃

本丸から二の丸を眺めています😊
本丸と二の丸の間に堀切が存在する可能性が高いそうですよ😌

そしてこちらが二の丸と三の丸の間にあった堀切みたいです😃
発掘調査によってこの堀切は箱堀状であることが分かったそうです😊
中世城郭はやはり土の城なんですねぇ😌

この先にも曲輪があるようですが、道もだいぶあやしくなってきましたので、ここまでにしました😌

大松山城跡からつり橋に寄って、30分ほどかかって近世城郭の「備中松山城跡」へ戻って参りました😊
近世城郭から時代を遡り、お城めぐりをして、再び近世城郭へ戻ってくるなんて、タイムトリップしたみたいですね😌

備中松山城跡は土の城も石垣の城もめぐれて、盛り沢山なお城めぐりができました😊
本丸裏から…

二の丸に出ました😊
二の丸入口の鉄門跡からは麓の街が見えました😌

二の丸の右端に、「国指定重要文化財 高梁観光百選 備中松山城」の石碑を見つけました😃
最初に通った時には気が付きませんでした😅

二の丸から三の丸へ下りる途中にある厩曲輪から大手門跡を上から眺めました😊
上から見下ろすのもいいですねぇ😌

土塀の四角い矢狭間から大手門跡を見下ろしています😊
ここからなら狙えますよ😌

最後に三の平櫓東土塀の前から石垣を見上げ、在りし日のお城の姿を思い浮かべながらお別れしたいと思います😌

とても楽しいお城めぐりでした😃
それではまた次のお城めぐりでお会いしましょう😊
こんちゃんがお送りしました😌

備中松山城・3(2023年3月)

2023年04月16日 | こんちゃんのお城めぐり
まだまだこんちゃんが備中松山城跡をめぐります😊
後曲輪の横を歩いてゆくと水の手門跡がありました😌
近世城郭としての「備中松山城」はここまでのようです😌
そしてワタシが乗っている道案内には、天神の丸跡420m、大松山城跡580mと書いてあります😊
ここからは中世城郭の「備中松山城」を目指してお城めぐりをしていきたいと思います😌

遊歩道がキチンと整備されているようなので、安心してお城めぐりが出来ますね😊
さぁ、ワタシがご案内します❗タッタッタッ🐾

急な坂を下りてゆくと木の橋が架かっていました😊
その脇に「土橋」と刻まれた石碑が建っていました😌
ここは昔は土橋だったのですね😃
橋を渡った先は、番所跡だったみたいです😊

番所跡を通り先へ進みます😊
下った分登ってゆくのですね😌

途中に石積が見られました😃
こちらはいつの時代の物なのでしょう😌

大きな曲輪に出ました😊
「相畑」と刻まれた石碑が建っていました😌
道案内にあった地図によると、相畑城戸跡とゆう所のようです😌

先へ進んでゆきます😌
歩いていると、少し虎口のように見える場所などありました😊

「せいろうが壇」とゆう石碑の建っている曲輪に出ました😊

そこから少し行った所に、「史跡備中松山城跡 天神の丸跡」の説明板がありました😊
水の手門跡からここまで、色々見学しながら約20分で着きました😊
標高約480mの臥牛山最高峰天神の丸の山頂と南北に延びる尾根上に位置しているそうです😌
天正2年(1574年)に備中松山城主の三村氏と毛利氏との間で起こった備中兵乱で、最初に陥落したところといわれており、中世城郭の遺構が残っているそうです😌
尾根上に5つの平坦面が連なって築かれ、北側から本丸、出丸と考えられているそうです😊
説明板に書かれた地図によると、先程見た「せいろうが壇」は天神の丸跡の一部だったみたいです😌

道標を右に行って、天神社跡へ来ました😌
こちらが天神の丸跡の本丸になるようです😊

天神社跡には礎石のような石がありました😌
天神社の創建は分かっていないようですが、慶長年間(1600年ごろ)の絵図に描かれているのが最も古く、このころにはすでに創建されていたと推定できるそうです😊
天神社は明治初期までここにあったといわれており、その後荒廃したため、現在は城下にある龍徳院に祀られているそうです😌

天神社跡は1段高くなっていました😊

天神社跡を下りて本丸の他の部分を見学していたら、

本丸の端っこに石碑を見つけました😃
しかしなぜかこちら側が裏でした😅

外側に回って「天神の丸」と刻まれた方でなんとか撮りました😊
撮影した人が崖から転げ落ちなくて良かったです😅

本丸から説明板のあった場所まで戻って来ました😊
ここに本丸と出丸の間にある深い堀切がみられました😃
この堀切の右上に先程本丸にあった石碑が建っていました😌

堀切を抜けた所に出丸へ上がる道があったので上ってみました😊

出丸から見た本丸です😌
堀切もわかって、中世の山城の遺構を感じられました😊

次は1番古い時代の大松山城跡を目指します😃
もう少しお付き合い下さい😌

備中松山城・2(2023年3月)

2023年04月16日 | こんちゃんのお城めぐり
引き続きこんちゃんが備中松山城跡をお送りします😊
鉄門跡を過ぎると二の丸に入ります😌

二の丸には猫城主さんじゅーろーさんの石像ベンチがありました😊
名前の由来は、備中松山藩出身の新選組隊士で七番隊の隊長を努めていた「谷三十郎」にちなんでいることと、見つけられたところが三の丸だったことらしいです😌

二の丸から本丸を眺めています😊
現在、一般に「備中松山城」と呼ばれるのは、ここ小松山の山頂(標高約430m)を中心に築かれた近世城郭を指すそうです😌
天守が現存する唯一の山城なんですよね😃

本丸へは、本丸南御門から入ってゆきます😊
平成9年に本丸の正面玄関ともいえるこの本丸南御門をはじめ、東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、六の平櫓、土塀などが史実にもとづいて復元されたそうです😌

本丸に入ると目の前に天守がありました😊
木造本瓦葺き二層二階の建物です😌
岩盤の上に建っているのが荒々しくて素敵です😃

現存天守はやはり存在感が違いますね😃
では入りましょう😊

中に入ると、現存でしかみられない急階段がありました😊

一階には囲炉裏がありました😊
籠城時の城主の食事、暖房用に用いられたと言われています😌
天守閣の中に切りこみの囲炉裏があるのは全国でも珍しいそうですよ😊

一階には装束の間とゆうものもありました😌
こちらは籠城時の城主一家の居室で、床下に石を入れ隙間がないようにし、忍びの者でも侵入できないように工夫がされているそうです😌

2階から見えたのは城内の一部でした😊
やはり他の現存天守と違って山城ですので、天守が展望台のようにはならないみたいです😊
籠城戦に備えた施設もあり、本物の最後の砦として残っています😌

天守を出てきました😌
次は、右手にある復元された本丸東御門横の階段を上がって、奥へ行ってみましょう😊

天守裏側にある腕木御門(復元)と、現存の二重櫓が見えてきました😊

二重櫓です😊
天守同様、天然の巨石を櫓台とした二層二階建の構造で、南北2つの出入口は、北は後曲輪に、南は天守裏に通じているそうです😌
こちらは南側ですね😊

本丸を出て、本丸下を奥に向かって歩いて行きます😌

下から見上げる天守もいいですねぇ😌
手前には復元された土塀と本丸東御門が見えました😊

こちらは搦手門跡です😊
先程本丸で見た腕木御門(復元)を降りてくるとここの前に出るみたいです😌

後曲輪から見た二重櫓です😊
北側の出入口が見れました😃
左側に腕木御門から降りてくる石段も見えました😊

そしてここが後曲輪です😌
近世城郭の「備中松山城」の1番奥の曲輪まで来ました😊

これで今回のお城めぐりはおしまい…ではないんですね😊
次はさらに奥にある中世城郭の「備中松山城」をめぐりたいと思います😌
実は2017年に訪れた時にはめぐれていない所なんです😊
ワタシは今、とても楽しみで、わくわくしています😃💕
続きます😊