小津安二郎監督の映画「彼岸花」(一九五八年)は娘の婚期をめぐる家族ドラマで、こんな場面がある。夫婦と娘二人で遊びに出かけた箱根。妻(田中絹代(たなかきぬよ))が夫(佐分利信(さぶりしん))に苦しかった戦争だが、今は懐かしいと語る▼「戦争は厭(いや)だったけれど、時々あの時のことがふっと懐かしくなることがあるの。あなた、ない?」「私はよかった。あんなに親子四人でひとつになれたことなかったもの」▼戦争が終わり、生活も豊かになったが、家族そろって夕飯を食べることもなくなった。それが寂しくて、戦争が懐かしいと言うのである▼このせりふが最近、よく分かる。新型コロナウイルスの感染拡大という試練の中にあるが、見方を変えれば、日本の家族がここまで「ひとつになれた」のは戦後七十五年の歴史の中で初めてではないだろうか。そんなことを考える▼外出も出勤も自粛で学校は休校。それはつらいことだが、間違いなく、家族が家で同じ時間を共有する機会を増やした。日に三度、顔を合わせて食事をするという家もあるだろう。それはややもすれば、家族よりも仕事を優先しがちな日本人が忘れていた幸せとも言えよう。気のせいか買い出しに向かう家族はこの状況にも穏やかで朗らかにみえる▼憎いコロナである。早く普通の日々を取り戻したいが、この重苦しい日々がいつか、懐かしいと思えるのかもしれない。 東京新聞朝刊「筆洗」・2020年4月20日より