かつて関内に「ホースネック」という酒場があった。たしかウナギの「わかな」の近くだったと思うのだが、私は職場の大先輩に連れられて一度だけ行ったことがある。 お店を立ち上げたのは、年配の方々ならご存知でしょう、長いこと新聞記者をやっていた牧野勲さん。明治40年に横浜で生まれ、横浜毎朝新報、奉天毎日新聞を経て、ハワイ報知の支局長を務めた人だ。 戦後は、みなと祭国際仮装行列をはじめとする数々の文化行事にかかわるとともに、横浜ペンクラブを結成したことでも知られている。 その酒場の名物がホースネックだった。焼酎をジンジャエールで割った“酎ハイの元祖”のようなカクテルで、戦後間もなくの喫茶店時代からこれを出していたという。 野毛のクジラ横丁でカストリが飲まれていた同時代に、アメリカ文化を感じさせるジンジャエールで割っていたというのが、いかにもヨコハマらしい。 私が「ホースネック」を訪れたときは、牧野勲氏は既に亡くなっていたのでお目にかかったことはないのだが、連れて行ってくれた大先輩も、お店の常連客も、どことなく文化人の匂いを醸していたことを覚えている。 「ホースネック」は一度行ったきりですぐに閉店してしまった。しかし、彼の息子さんが中区常盤町で「三春」という小料理屋を経営しており、そこでホースネックが飲めるというので、こちらの店にはずいぶんと通わせていただいた。 いま、≪ホースネック≫と入力して画像検索すると、こんなカクテルがたくさん表示されるが、「三春」で提供されていたのは、こんなオシャレなものではなく、もっと昭和の雰囲気のあるスタイルだったと思う。 その「三春」も数年前に閉店してしまい、現在、横浜でこの酒を呑める店はあるのかどうか。 こんなことを思い出したのは、冒頭に掲げた市営地下鉄の中吊り広告を見たからだ。この雑誌で紹介されているのは現役の酒場ばかりなのだが、懐古趣味人で前を見て歩かない私は、ついつい消えてしまった酒場に思いを馳せてしまう。 「ホースネック」の他に伊勢佐木町3丁目にあった「根岸家」、野毛の「尾張屋」、吉田町の「杉田屋」、中華街の「能登屋」などで呑んでいたときの光景や想い出が甦ってくるのだ。 昭和の匂いがプンプンとしていた酒場… 良かったなぁ… ここに登場する酒場の中にも、気になる店がいくつかある。 今年はそれらを巡ってみようかと思っている。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
西区、神奈川区方面にいい店がありますね。
お声掛けします。