サンモール・インターナショナルスクールのフードフェアを楽しんだあとは、山手の丘から元町に下り中華街へ至るミニ・ツアーに出かけました。 冒頭の写真は山手公園前の歩道。市電の敷石を再利用しているのですが、なんだか虫食い状態に見えます。これは工事の跡なんかではなく、意識的にこのような造りにしてあるのです。 顔を左横に傾けてご覧いただければ、作者の思いが理解できるでしょう。 お茶とケーキの「えの木てい」。2階には6名までが利用できる個室もあります。 「山手234番館」。 昭和2(1927)年頃に建設された外国人向けのアパートでした。設計者は、隣接する「えの木てい」と同じ朝香吉蔵です。 公衆電話のボックスもレトロ調。 イギリス国教会の流れを汲む「横浜山手聖公会」です。 レストラン「山手十番館」の敷地内に建つ「山手資料館」。 もともとは1909(明治42)年に中澤邸として本牧村(現本郷町)に建てられました。震災後は中区諏訪町に移設され、園田邸として使われたあと、昭和52年に現在地に移築されました。横浜に現存する明治時代の唯一の木造西洋館です。 元町公園内に残る「山手80番館遺跡」。 関東大震災前の異人館遺跡で、震災当時はマクガワン夫妻の住居となっていたところです。 公園横の額坂にある「ブラフ溝記念碑」。 この石造側溝は、フランス瓦で有名なジェラールの要望によって、明治7年から8年にかけて敷設された排水溝です。 洋風側溝としては現存最古のもののひとつで、同じ房州石で築かれたブラフ積石垣とともに、居留地時代の横浜山手をしのぶことのできる貴重な土木遺産です。 ブラフ溝記念碑の近くにある「横浜バプテスト神学校発祥の地記念碑」。 関東学院の源流だそうだ。 昭和5年に建立された元町公園の碑。当時の市長、有吉忠一の名前が彫られています。 「この辺り一帯は水屋敷と称せられて、清冽な水が湧き出ており、それを飲料水や船舶給水として利用してきた。震災後、これを市有とし、プールを造った」というようなことが書かれています。 池に浮かべられたチューリップの花。 チューリップの産地・新潟では、球根育成のため花は不要となります。その花を貰ってきて、それで花絵をつくり洋館や公園を飾っているそうです。 ここのほか、山手234番館、港の見える丘公園で、5月5日まで。 子どもたちの遊び場にもなっているカスケード。 我国塗装発祥之地記念碑。 「わが国における近代塗装は、嘉永6年アメリカ艦船来航に際し使節接見のための交易所を急造した際、これに洋風塗装を施工したことに始まる…開港百周年を記念して建立した」ということが書かれています。 ふ~ん、この記念碑自体が50年も前のものなんですね。 元町公園旧児童プールの壁泉。 昭和初期に設置されたと思われるもので、現在の池脇から移設したものです。 大正活映撮影所跡の記念碑。 碑を読むと、「この撮影所は大正9年から12年までの3年間という短い期間ではあったが、ジェラールの煉瓦工場跡地のこの場所にあった。大正活映は大正9年神奈川区子安を埋立てアサノセメントを創始した経済界の大物・浅野総一郎氏の子息良三氏が創立した会社である」ということが分かります。 この映画会社では、当時新進作家であった谷崎潤一郎を脚本顧問として迎えています。そして、彼を慕い集まってきた多くの青年の中には、後年映画界で名をなした監督の内田吐夢、や俳優の江川宇礼雄等の姿があったそうです。 ジェラールの水屋敷跡。 彼はこの地から湧きでる清泉を代官坂に溝を掘って堀割に通し、「船用最上飲用清水販売所」の看板を掲げて、船舶に販売しました。水屋敷の呼び名はここから生まれました。 1923(大正12)年の関東大震災により崖が崩れ、工場は倒壊してしまいましたが、跡地は震災の復興に際して市有地となり湧水を利用して元町公園プールを建設しています。 水が流れています。その中を泳ぐ鯉も多数。 道路側の湧水。綺麗な水です。 元町「梅林」。ここの宴会料理はすごいボリュームです。まあ、ほとんどの人が食べきれず、お持ち帰りにしてもらっているはず。 昼のメニュー。 山手外国人墓地。最も元町側に近いエリア。 左側が「生麦事件」で被害にあった3名のお墓。 右側のピラミッド型のお墓は、生麦事件より2年も前に本町通りで殺害されたオランダ人船長2名のもの。 なぜ、こんなに巨大なのかはナゾですね。 名も無き外国人のお墓かな。 路地裏にラーメン屋さんが! この赤い目印の奥にラーメンの「下前商店」があります。 増徳院元町薬師堂。 増徳院制定「ヨコハマ・シャンソン」。 作詞は仏文学者平野威馬雄。料理研究家・シャンソン歌手である平野レミの父親です。 私は長いこと横浜に住んでいますが、こんな歌は聴いたことがありません。 でも、ネットで調べると、ちゃんとレコードが出ているんですね。 元町と中華街を結ぶ前田橋。 ふつう「まえだばし」と言っていましたが、これを見る限り「まえだはし」と読ませるようです。 橋の名前は濁ってはいけない、というような話を聞いたことがあります。綺麗な川を汚くしてはいけにという思いからなのでしょうかね。 橋に貼り付けられた彫り物。元町側は鳳凰、中華街側は龍が描かれています。 この龍、見る方向によっては目玉が赤く怪しげに光ります。近づいてみると、それは赤いガラス球が嵌め込まれているのでした。 中華街に入ると、こんな光景が。「朕之味」が店内改装のため暫く休業、との張り紙が出ていました。 南門シルクロードの街路樹である姫リンゴに白い花が満開でした。 そして「雲龍」。 さすがです。ゴールデンウィークの初日、休日だというのに、この日は木曜日だったので定休でした。 この日の最終目的地はここだったのですが、あ~疲れた…。 閲覧された方も、疲れたでしょ。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね 「ハマる横浜中華街」情報はコチラ⇒ |
同じコースでした。
とても素敵な経路ですよね。
でも、市電の敷石の文字の意味が
よく分かりませんでした。
画像を回転させてもよく分かりませんでした。
もう少しヒントを....
寝連休にしたいところですが、
いろいろと仕事が入っていて、
無理なんですねぇ。
でも、街探検はできます。
この黒い部分(アスファルト部分)を消してみてください。
白い部分だけで文字を感じ取ると…
そう、そこにカタカナで……
白い部分が文字だったんですね。
正解です。
白い部分を見れば、よく判りますよね。