目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

自閉の目的論的解釈

2024-08-05 22:06:21 | いけてつオタク話
妄想。
その妄想の内容とは、自分はOKでないという妄想。
交流分析で言う、I'm not OK.という構え。
それがすべての出発点である。

自分で自分がOKでないという誤った信念を持ち、その証拠を集めるために、自分を軽く扱われた事柄だけをフォーカスして記憶に残す。

それで自分は軽蔑され、拒絶されているという信念を強化させ、世間に敵意を持ち、それで自分が軽く扱われ、軽蔑され、拒絶されているという、括弧付きの真実に腹を立て、自閉する。

もしかしたら、自閉そのものが、私の隠された要求なのかもしれない。
自閉の意思があるのであれば、その目的のために、誤った信念を持ち、そしてその証拠集めをして、世間に腹を立て、世間はけしからんから、私は自閉する。と主張しているのかもしれない。

案外、ある種の被害妄想は、私の自閉への意思に奉仕するツールなのかもしれない。
それに仕事が決まっても、腹を立ててやめてしまえば、自閉することができ、お金がないから引きこもるという言い訳にもなる。

実際問題、私の自閉を邪魔する人たちに、内心辛辣な怒りを感じていたことも事実だからである。

というか、遊んでくれる親しい人たちに対する敵意はなぜだろう?
それは私の自閉を邪魔するからだと気がついたときに、このブログの記事が思いついたからである。

ブロイラーの4Aも
会話をしたくないから、会話で使う用語の定義をでたらめにさせ、
感情的に交わりたくないから、感情を鈍麻させ、
近寄ってきてくれる友達にありがたみを感じながらも、自閉を邪魔されたと敵意を持つ。

そう考えると、自閉への意思こそ、ブロイラーの4Aの肝なのではないかと思う。

そういえば空海も、朝廷や弟子の育成よりも、瞑想にふけって入定したという説もある。

空海ですら、人との交わりより、瞑想にふけっていたかったというのだから、似たような傾向のある凡人がいてもおかしくはない。

そんなことを思った、ικμτであった。



物化された他者。

2024-07-29 22:51:50 | いけてつオタク話
物化された他者。
この場合、他者は物化されているから、他者が持っているこころは、捨象されている。
そんなわけであるから、相手の意図はどうでもよくなる。
相手の意図はどうでもいい。
実に恐ろしい言葉だ。
そんな恐ろしい人間関係が、最近はやっている。

こころの時代と言いつつ、相手の意図はどうでもいい人間関係。自分の意図だけが存在し、自分の意図のままに相手をコントロールしようとする人間関係。
なんと恐ろしいことだろう。

そんな人間関係を構築しようとするから、他者は本人から逃げていく。
それなのに、「俺(私)は裏切られた。」
そんな言葉が口をついて出る。

反省すべきは、固有の意図を持った、いや心を持った相手ということを認めずに、自分の意のままに相手を操作しようとした、自分の傲慢さであり、決して傲慢な自分から逃げ出した相手ではない。

自分がそんな傲慢な人間かどうか知りたければ、自分が他者にどれだけ不満を持っているかどうか振り返ってみるといいだろう。

相手が相手であることが認められれば、相手に不満を持つことはほとんどない。
もっとも相手が自分に合わせていることもわからないような人であれば、相手も不満を持ちようがないのであるが。

ここまで書いて、なんでτκυνが俺を友達として選んだかわかった。
彼は俺そのものが好きだったんだ。
彼はありのままの俺に満足してくれていたんだ。
それが友情なんだね。

そうか。
あなた方はありのままの私に満足してくれているんだ。
そう、そうでない人は、近寄ってきたかな~と思うと、いきなり私に失望して去って行くからね笑。

何やら、物化された他者から、ικμτの人間関係に話が盛大にずれたが、それはικμτがセントポールみたいな人だからである。

そんなわけである。
以上、ικμτ。


九州南部は梅雨明けだそうです。

2024-07-17 16:53:14 | いけてつオタク話
九州南部は今日梅雨明けだそうです。
そして私の住む関東地方は、十九日に梅雨明けの予定です。
ということは、東北地方は、二十一日ないし二十三日あたりに梅雨明けになるのでしょうか?

22日は大暑、それと同時に獅子座の季節の始まり始まり。
私の亡き父は、獅子座の生まれだったので、お父さんの誕生月です。

不思議なものですねえ。
獅子座の季節になると、梅雨が明ける。

そして東京地方は夏休みに入ります。

そうだ、夏といえば、私の友達の命日です。

彼はとっくの昔に生まれ変わったはずですが、どこで何をしていることやら?

亡くなった人を思い出して供養すると、生まれ変わった先で、相手が我々の応援を受けていることになるそうです。

従って、私が亡き父やご先祖様たちの供養をすると、生まれ変わった先でいいことに恵まれるそうなんです。

だから私がラッキーに恵まれるときは、生れ変わる前のおうちで、かわいい子孫たちが私たちを供養しているのだと思った方がよいと聞きました。

梅雨明けの話から、何やらオカルトめいた話になりましたが、そうやって主題がコロコロ変わるのが、私の悪い癖です。

今、亡くなった恩師の皆さんに供養のお祈りをしました。
ラッキーに恵まれますように。



逃れられないものから逃れようとするのは愚かなことだ。

2024-07-10 13:30:15 | いけてつオタク話
逃れられないものから逃れようとするのは愚かなことだ。
生老病死の四苦八苦から逃れることはできない。
それは当たり前のことで、そんなことはお釈迦様に言われる前から、百も承知のことだ。

で、こんな当たり前のことをいう人のことをありがたがって、何が楽しいの?
そう考えると、宗教の勧誘人って、実にありがた迷惑の存在で、昨日も書いたように、数学的論証を弄ぶ連中や、当たり前のことを言うおっさんの弟子になれと強要する連中なんざ、おととい来やがれだ。

で、いけもとの場合、馬鹿だから馬鹿にされるのは当たり前。それから逃れようと利口になるために一生懸命勉強し、都立の某高校や、私立の某大学に入ってはみたものの、やっぱり馬鹿だから、社会適応がよくなく、メンタルをやんで、人生をドロップアウトして、館で駄文を書いている。

うーん、全く愚の骨頂とは私のことだ。
わはは。

読者の皆さんも、こんな愚かなことをしてはいけませんよ。

逃れられないものから逃れようとするのは愚かなことだ。
ムーミンに出てくるジャコウネコじゃありませんが、無駄じゃ無駄じゃでございます。
あれ? ジャコウネコでよかったかな?

ほら、いけもとは頭がよくないから、アニメのキャラまで忘れてしまったわい。

そんなわけでございます。
以上、いけもと。


キリスト教の数学的解釈。

2024-07-09 23:57:38 | いけてつオタク話
キリスト教の論理。
人は死ぬ。死ぬからには理由があるに違いない。それはアダムとイブが神に逆らって、善悪を知る実を食べたからだ。

キリスト教の論理。
すべての人は死ぬ。ところがイエスは死後三日後によみがえった。だからすべての人は死ぬという、全称命題は否定された。ところがイエスは無原罪の子である。無原罪であるためには、原罪のあがないが必要だ。それがイエスのあがないである。

従って、原罪やその他一切の罪をあがないイエスのあがないを信じ、洗礼を受ければ、死を免れることはできる。

これ、現実にはあり得ない話なのですが、数学的には筋の通った論証なのです。

学問の世界において、数学的に筋の通った論証をすれば、現実妥当性は、後の学者が追試してくれる。

従って、こういった議論が大好きなヨーロッパの人々は、キリスト教が大好きなのであります。

そうそう、死なない人々は、一部の人々である。これ、すべての人は死ぬという命題の対偶ですが、これもその例はイエス。そして旧約聖書のエリヤ。
どちらも無原罪だとされています。

従ってキリスト教の主張でいけば、罪を犯さなければ、永遠に生きられるというのがその見解であります。

さて、新約聖書に、あれは確かパウロだったと思いますが、すべての人々は罪人だという、失礼な主張があります。

ということは、イエスやエリヤは人ではなかったのでしょうか?
人でなければ、罪人ではないのですから、それは昇天できますよね?

そこで、アタナシウス派の、イエスは完全な神であり、人であったとしないと、意味が通じなくなります。

ここでめでたく論理矛盾は解消されたわけでありますが、クリスチャンであった人々で、死後三日にしてよみがえった人は見たことがありません。

うーん、後の学者が追試をするといったところで、私はそれまで生きてないや。

うーん困ったものだ。

こういうことを言っているから、いけもとははぐれざるになるのよね。
身から出たさびか。
ちゃんちゃん。