目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

病の言い分。

2024-07-05 23:54:48 | いけてつオタク話
薬を飲まないで病の言い分を聞くと、そこに大切にされなかった怒りと悲しみがある。

ここで大切にされなかったとは、甘ったれた坊ちゃんやお嬢ちゃんが世間の厳しさにぶつかって挫折したときの怒りや悲しみではなく、有り体に言えば、虐待に対する怒りや悲しみなのである。

そしてそれは決して妄想や幻覚の産物ではなく、実体験としての虐待なのである。

そしてそれらの体験を忘れるための、本来人が持っている、相手を許す感情が働かない。

そしてそんな扱いをされて傷ついた自分に対する周囲の慰めが得られない。

彼らがほしいのは判事ではない。空想の産物ではなく、現実の肉体を持った慰め手である。

お寺に行ったところで、そんな因縁を過去に積んだから、そんな目に遭うなどという暴言に等しい坊主の説法や、キリスト教会に行ったところでありもしない自分の罪を許してもらうように、虐待した連中を許せとのこれまた許しがたい説教である。

問題は、相手の罪を許せない自分がいることと、自分が受けた虐待を慰める慰め手がいないことである。

それに、カウンセリングにいって、全然関係のないカウンセラーの謝罪や慰めをもらったところで意味はない。

とにかく、彼らは内心辛辣な怒りを抱き許せないし、虐待された自分を慰めてほしいのである。

そんな話は親友だって聞いてくれない。
それでネットの出会い系をうろつくわけであるが、出会う相手は、お金か体目当ての輩か、自分よりも倍もひどいメンヘラである。

そしてそこで、江戸の敵を長崎で討つような、全然関係のない相手への搾取や虐待が始まり、相手の反撃を受け、けんか別れするわけである。

最後の最後に頼るのは自分だけと気づいたときに、許しがたい相手を許すことができるかもしれないし、自分で自分の悲しみを、それこそトリートメントできるのかもしれないのである。

決してキュアやケアではなく、トリートメントと書いた意図をくみ取ってほしい。

傷ついた自分をトリートメントするのは、自分にしかできないのである。

以上、メンヘラの独り言であった。


逆立ちに気づく。

2024-07-05 12:57:09 | いけてつオタク話
今まで俺は逆立ちしていた。
実は自我こそが、エスの召使いなんだ。

そして自我が、エスの要求が、その時代のエトスに合っているかどうか判断して、あることをやるかやらないか決めるべきなんだ。

別段ικμτは、反社会的なことや反道徳的なことをしたいわけではない。
むしろ、社会的に有用なことをなそうとしていたし、道徳的なことをなそうとしていた。

だとしたら、ικμτのエスと自我の葛藤は何だったんだろう?

そこに、人生の経験によって得られた超自我ではなく、エスの要求を何でも却下する、鬼のような、超自我もどきがいて、それとエスが葛藤していたんだ。

そう、
ここで私が言いたかったのは、
自我はエスの召使いであり、
私の超自我は、私の人生の経験によって得た超自我なのか、それとも、周りにいい顔をしたい、超自我もどきなのか?
ということである。

この二つの文章を書いたら、なんかすーっとした。
心が楽になった。

やっぱり逆立ちは疲れます。

以上、ικμτ。


心は心でそれ自体が生き物。

2024-07-04 13:01:30 | いけてつオタク話
私は心をものだと思っていた。
ここでいうものというのは、objectという意味でのものである。
objectであるから、操作可能だと思っていた。

が、心はものではなかった。

ものであるから、自由自在に操作可能であると思い、私は自分の心を支配しようと思っていた。
が、そうはいかなかった。

心は心で、それ自体が生き物である。

意識の力で操作できるものではない。

我が心でさえ、そうである。
まして人の心など操作できるわけがないのだ。

もう一度いう。
心は意識。
すなわち目覚めた心で操作可能なものではない。

生半可な心理学で人の心を左右しようとするのは傲慢である。

私はその生半可な心理学で、人の心を左右しようとする人たちと人間関係を持っていた。

科学である心理学でさえ、人の心は操作できないのであるから、ましてや怪しげなおまじないで、人の心など操作できるわけがない。

そう観念したικμτであった。


双子座二日目の朝に

2024-05-21 08:02:26 | いけてつオタク話
おはようございます。
今日のお江戸は気持ちのよい、五月晴れの朝でございます。
そして今日は大安。
皆さんにいいことがありますように。

双子座といえば、川島なお美さんのジェミニという歌を思い出します。

それはさておき双子座の季節。
トランジットの太陽が、ικμτのネイタルの太陽や、水星、そして金星、なんと火星と120度の吉角を作ります。

なんかいいことあるといいな~

そんなことを思ったικμτでした。


小説でも書いてみるか。

2024-04-19 20:16:30 | いけてつオタク話
何を書こうかほいさっさ。
人間、未来に希望が持てなくなると、過去の栄光にすがる。
私のようにすがるべき過去のない人間は、過去のいやなことに焦点を当てて、当時の敵対者を罵る。

そんなことが通俗心理学の本に書いてあって、ギョッとした。

うーん、言い得て妙だ。

だが、そんな生き方はかっこ悪い。

やっぱり前を向いて、一瞬一瞬を大事に生きるしかない。
その大事に生きた一瞬の積み重ねが、私の生きてきた証になるのだ。

貯金をするとしよう。
いま一ヶ月千円を積めば、十年後には十万二千円の貯金になる。

そうそう、元本保証のない、積み立てなんとかにはだまされないでね。
あれは元本保証がないから、元本を割るかもしれないからね。

なぜ私がこんなことを書いたかといったら、私がテレビを見て文句を言っていたら、親に「てつこう。おまえ、俺が死んだ後も、そうやってテレビに向かって文句をいって暮らすのか。情けない。」と、叱られたからであります。

そう、そんな生き方をしていたら、一年で三百六十五回、四年に一度は一年で三百六十六回、テレビに小文句をたれて日がな一日を過ごす老人になってしまいます。

だったら、今を生きる若者たちに、教訓がてらの小説を書いた方がためになります。

そんな話を親や妹と、晩ご飯を食べながらしていました。

そうですね。
小人閑居して不善を為すといいますから、一つ暇つぶしに小説でも書いて、頭と指の体操をしたいと思います。

以上、ικμτ。