さっき母親に目薬を入れに行った。
ふと、田舎の母方の祖父のことを思い出した。
爺ちゃんが生きている頃は、毎晩寝る前に、爺ちゃんにアリナミンを持っていった。
そして一番古い思い出は、父方の祖母の家で紫斑病になり、死にかかったことだ。
子供というものは、母親が嫌うものは無条件に嫌う。
父方の祖母が亡くなったときに、従姉妹のお姉さんの息子にお姉さんの敵認定を受けた父と私は、お姉さんの息子にいたずらをされた。
閑話休題。
何か母親の目薬と爺ちゃんのアリナミンがつながって、涙が出てきた。
私はいつまでたっても母の息子であり、爺ちゃんの孫であることがアイデンティティなのだ。
加藤諦三先生の本によれば、
アイデンティティが「母親の息子」であるから、外の世界での適応に失敗するんだと言われそうだが。
思い出したので書いておこう。
まだ、母方の祖母が生きているときに、父方の菩提寺に行き、線香を捧げた。
が、婿養子の伯父とその長男のいとこの兄さんは私の香を拒んだが、父方の祖父は線香を受け入れてくれた。
父方の爺ちゃん。
パパが小学校四年の時に亡くなって、爺ちゃんに生きてあうことはなかったけど、爺ちゃんは僕の香を受け入れてくれたね。
内孫だって認めてくれたんだね。
爺ちゃん。
ありがとう。
ちなみに母の実兄は、生きていれば、今日で八十七歳である。
そんなことをふと思い出した、ИКМТであった。