目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

因果の理。

2020-07-12 15:14:46 | いけてつ独り言
因果倶時という言葉がある。
Икэмотоはよくは知らないのであるが、人を小馬鹿にするような奴は、自分の品性下劣な心根を、自分自身でその場で暴露しているのであるから、ある程度目覚めた人には、内心笑われていることであろう。
因果異時という言葉がある。
こちらの方は有名で、意口業の三業には、きっちりと返礼が待っている。
いいことも悪いことも。
これらのことは、成仏しようが、念仏を唱えようが、題目を唱えようが、宝号を唱えようが、免れることはできない。
いいことも悪いことも。
なぜなら、お釈迦様でさえ、いい行いの功徳によって成仏し、悪い行いのバチによって、成仏しても難にあったことを見れば明らかであろう。
ただ、仏教には救いがある。
現世、お釈迦様を迫害したダイバダッタごときの輩でも、その罪によって、生きたまま無限地獄に落ちたが、前世、ダイバダッタが阿私多仙人だった時に、お釈迦様に、あるお経を説いた功徳によって、予め成仏が決定しているように。云々。

最近、団地の仕事でИкэмотоは難を受けているが、怒りのあまり、神様に誰かを使わしてなだめてくださいと祈ったら、妹がなだめてくれたし、なんと体の悪い友人が、わざわざ訪ねてきてくれた。
コロナの流行っている最中、体が悪いのに。
ありがたいことである。

そして、さらに祈ったら、私がその経を忘れても、普賢菩薩様が教えてくださると経にあるが、普賢菩薩様の働きであろう。
いきなり、因果の話と経に書いてあることを思い出させてくれた。

さて、その経には、どんな人の中にもある、光るものを拝んで回った功徳によって、成仏したのがお釈迦様であり、それを侮って阿鼻獄に落ちたのはうぬぼれた連中であると書いてあった。

私に難を与えた連中は、お釈迦様なのか、はたまた、うぬぼれた連中なのか。

以上である。


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