感覚は対象を求める。
意識も対象を求める。
例えばテレビを見たり、ブログの記事を考えようとして、意識をそらすと、メンタルの症状に巻き込まれないですむが、ぼーっとしていると、コンプレックスが意識の抑圧を突破して、意識に割り込んでくる。
このコンプレックスというものは、大体トラウマである。
不快な感情を伴った記憶であるから、意識はそれを考えないように無意識に押し込めようとする。
いや、むしろ意識が対象はないかと前意識の中を探して対象を見つけるのかもしれない。
それでコンプレックスを見つけ出して、意識がコンプレックスを対象として眺めるのかもしれない。
元々意馬心猿といって、意識や心は絶えず活動している。
そこでまあ評判のいいことを考えればいいのであるが、ここに書いたように、過去に起きた不快な体験を思い出して、それをШокерの陰謀だと信じれば、これはキーサンの世界の話だ。
セントポールのいったとおり、評判のいいことを考えることにしましょう。