目覚めた孔雀。独り言三昧。

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私という猫の首に鈴をつけるねずみは誰なのか?

2020-02-01 00:38:02 | いけてつ独り言
本当のことを言おう。
私という猫の首に鈴をつけるねずみは誰なのかということ私は知りたい。

物心ついたときから、行く先々で「好ましからざる人物」というレッテルを貼られてきた私だ。

それが人生五十年を過ぎた今も続いている。

それが宿命なのであれば仕方がない。
甘んじて受けるだけだ。

しかし、医療機関まで「好ましからざる人物」として扱うのであれば、これは尋常ではない。

このことに釈然としないものを感じて、私のフェイスブックにヒポクラテスの誓いやらナイチンゲールの誓いやらを持ち出して、いらんことをいろいろ書き連ねたが、はっきり言って、どこの診療科が私に「好ましからざる人物」をはっきりと告げるのか、内心待ち望んでいる。

はじめのうちは、これは「挑発技法(感情の動きが見られない患者に対して、内心の感情を呼び起こさせ、それをきっかけに心の病を治療しようとする技法)」とか、「直面化(患者の問題点を患者に自覚させて、言動変容をもたらす技法)」などと思って自分を慰めていたが、調剤薬局やコンビニエンスストアの店員まで、顧客を怒らせるようなことをするとは到底思えない。

それがおきたのであるから、つまりは私を激怒させて、二度と寄り付かなくさせるための作戦だと解釈せざるを得ないのである。

だったら二度と寄り付かなければいいだけの話であるが、私にもプライドがある。

武士の情けで、せめて今通っている医療機関のどこの診療科が、私に「好ましからざる人物」であるのか告げるのかそれを待ち望んでいる。

私は外交官を気取るつもりはないが、「好ましからざる人物」を告げられるまで、約束があれば通院する義務がある。

その約束のために耐え忍んでいたが、忍耐にも限度がある。

「好ましからざる人物」のレッテルを貼られて排除されることは子供のころから慣れっこだ。

私自身、人格の陶冶に勤めてはきたが、限界に達し心の病を得た。
もはや限界である。

ここまできたら、もはや世界を保護するために発狂するだけでなく、世界を保護するために自殺せよといわれているのと同じことだ。

ちょっと話がエスカレートしたかもしれないが、そのぐらい私は傷ついている。

くどいようであるが、私という猫の首に鈴をつけるねずみは誰なのか、実に興味がある。

お目汚しであることは承知の上だが、書かせていただいた次第である。

以上である。

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