実はこの記事をかく前に、昔飼っていた鳥たちのことを書いていた。
それをアップしようしたら、パソコンの付喪神が待ったをかけた。
きっと私に不利益があると、パソコンが判断したのであろう。
私のパソコンはいつもそういう味な真似をして、私を守る。
さて、今日は東京のお盆様の中日。
昔、となり町ある床屋の奥さんが、私の髪を調髪しながら、東京のしきたりを教えてくれたのだ。
さて、最近妙なことがよく起きる。
私が三十代はじめの頃メール交換をしていた懐かしいメル友さんをエゴサーチした。
そして、検索結果を見たら、びっくりした。
私の父が高齢者医療で定評のある病院に入院していた時に、いろいろ相談していた父の病気に関する論文や、病院やご家族の橋渡しをするような仕事をされていたのだ。
お互いの多忙により、今ではメールのやり取りをすることはなくなったが、私のことをきちんと覚えていて、それを仕事で友情表現をしていたのだ。
そして僕を診てくれた女医さんも、仕事で患者に対する愛情を表現する先生だった。
ソンディテストで、こういう職業をされている方の愛情は、個人愛ではなく人類愛だというが、僕の友情や、お礼の気持ちに直接答えてくれることはなかったが、職業で昇華して、愛し返してくれていたのだ。
嬉しい。
こんな時期である。
医療に従事している彼女たちの無事を祈り、仏壇に供養の品を捧げて、ご先祖様や亡父を供養したことは言うまでもない。
もちろん、看護師をしているいとこのために特に祈ったことも、言うまでもないことだ。