なんかね。
いろんな人からいただいた真心が、心にじんわりとしみてきて、ありがとうの涙があふれてくるんだ。
小さい頃から、大人のいやな面を見て育ってきたから、真心にも、裏があるんだろうと疑ったいやな子供だったけど、いま、この年になると、単に真心だけをいただいてきたことがわかる。
プラスの真心もあれば、マイナスの真心もある。
どっちもその根元にあるのは、真情の吐露。
まあ、マイナスなことを書くのはこれくらいにしておこう。
プラスの真心を私にくださった皆様。
私もこの年になるまで、なるべくプラスの真心を人様にプレゼントするように努めてきましたよ。
プラスの真心はいいねえ。
うれし涙? かたじけなさの涙が出てくるほど、ありがたい。
振り返ってみると、マイナスの真心より、プラスの真心をもらってきた方が多かった。
ああ、私はなんと幸せ者なんだろう。
それだけ心の温かい人たちと知り合ってきたということだから。
マイナスの真心をくれた人たちは、残念だけど、命終前に悔いるのよ。
「ああ、ικμτにあんなことをして悪かった。」と。
私にプラスの真心をくれた人たちは、閻魔の前で誇るが良い。
「私は生前良いことをした。それはικμτにプラスの真心を送ったことだ。」と。
今、なんかが乗っかってきて、こんな文章を書いたけど、それが去って行った。
ま、いいか。
支離滅裂な文章でごめんなさいね。
それがικμτの脳みそだから。
そんなわけでございます。
以上、ικμτ。