仲間だったんだな。
お仲間だったんだ。
お仲間だったから、彼らの小説や歌が癒やしになったんだな。
市川拓司さんの初期の小説や岡崎律子さんのアニソンは。
やっとわかったよ。
俺は猿でいえばはぐれざるなんだ。
はぐれざるも時々は仲間のぬくもりが恋しくなる。
そのときに見た白昼夢が、彼らの小説や歌なんだ。
例えるなら、東日本大震災の時に、放牧された家畜たち。
餌はお山に腐るほどあるが、飼い主の愛を彼らは忘れないし必要としている。
それで人っけを求めて、警戒線ギリギリのところで警戒しているおまわりさんに体をなでてもらって、満たされた後、元の避難地域に戻るかわいそうな家畜。
(TT)
誰かが言っていたな。
人が生きるためには空気と水とご飯が必要なように、仲間と愛とスキンシップが必要だって。
人間がはぐれざるになる理由は大体が、愛着障害だ。
人生早期の所属集団からの疎外によって、自ら他人を必要としなくなるように自己訓練する。
そこで問題になるのが、職業と性だ。
職業も生殖も、どちらも他者が必要だ。
そこで、自ら自閉し仲間を遠ざけるように自己訓練した性癖と、他者を必要とする強い衝動との間で、患者は葛藤する。
その葛藤で、いろいろなメンタルの症状が出てくるのだ
そこで彼らはアルプスの少女ハイジに出てくるアルムのオンジのように、必要に応じて山里に降りてきて仲間の不便を助け、糧を得て、また隠れ家へと戻るのだ。
そのときに、妙に馬の合う人と出会う。
それがはぐれざるの朋友なのだ。
ここでの朋友は、日本語の意味での朋友ではなく、中国語のそれと近い意味で使っている。
それが市川拓司さんの小説における、チャムと初恋の相手であり、岡崎律子さんの歌に繰り返し出てくる、三月の春に出会った人なのだろう。
ここで忘れてはいけないのは、はぐれざるはどうしたわけか、短い時間で濃密な人間関係を求める。
ちょうどエアーズロックに住んでいるエビが、雨が降っている短い時間で孵化し生殖しそして死に絶えるような感じで。
それが彼らの生身の部分を強く疲弊させる。
それでハリネズミのジレンマが起きて、すぐにけんか別れし、またすぐに仲直りし、それがループする。
うん。
はぐれざるというよりかは、エアーズロックに住んでいるという、エビの仲間に近い生態を持っているのかもしれない。
生態が違うのであるから、寿命の長いエビには、そんな人間関係ならぬエビ関係は耐えられまい。
時々エビ同士がけんか別れして音信不通になる状態は、もしかしたらエビが卵になって休んでいる状態なのかもしれない
私は体は大きいが、スタミナがない。
体が大きいから丈夫に思われるが、あまり丈夫ではない。
うちの家族はみんなそうだ。
だからレギュラーワークにはついて行けないし、パリピの人間関係ははっきり言ってきつい。
それでポイ活によってお金を稼ぎ、なるべく体力を使わない方法で人間関係を済まそうとするのだ。
が、それでは寿命の長いエビさんたちは、物足りないし、さみしいのであろう。
人は見かけではないのだ。
話が脱線した。
何やらικμτと会えなくてさみしいと言ってくれた人の話を聞いて、涙が流れ、そしてこんな文章が頭に浮かんだ。
そんなわけである。
以上ικμτ。