あ~。
いつしか受け身の人生を送ってきた。
人の動作の目的語として生きてきた。
そんな人生おもしろくない。
俺の人生は誰かの人生の付属物でも付録でもない。
自分の動作の主語にならなきゃ。
そうそう、be動詞の主語にもならないとね。
さもないと、自分が望む人生の状態になれないや。
何で俺の人生を他の存在に任せなきゃいけないんだ?
神仏任せきりの人生なんて、そんな生き方が好きな奴らに送らせればいいや。
んで、そんな人生を勧めに来る連中など、おととい来やがれ。
そんなわけで、能動態の文章の目的語人生よ、さようなら。
今日から私は、能動態文章の主語になります。
そうそう、もちろん法は、直説法の法でっせ。
いつまでも、仮定法の人生なんか送ってたまるか。