心身の不調和に悩む。
それは外界の何かについて、心や体がノーと言っていることだという。
単に嫌なことは、意識の上に残るから、すぐに処理ができる。
故に、さほど問題にならない。
しかし、かなり根源的な部分で嫌なことは、意識に上らないように心の検閲官が働くし、更に、嫌だという感じ方自体を意識に上らせないように、心の検閲官が働く。
それを暴いて、「お前さんが嫌なことはこれや!」とか、
「お前さんこれこれが嫌だろう。そしてお前さんは、嫌だという感じ方すら感じないようにしてるんじゃ。」
と、やるのが、精神分析医の仕事。
人の心というものは面白いもので、どんなひねくれ者でも、社会通念というのはインストールされているものだ。
したがって、ひねくれ者の筆頭格であるИкэмотоも、破天荒なことをブログで書いているようですが、実はИкэмотоの中の人は常識人すぎるようで、老母は私のことを「几帳面バカ」と呼んでいます。
閑話休題。
ИКМТが不快に思っていて、不快だと感じること自体、圧をかけて忘れたいことは何なんだろう?
なんか独り言ブログみたいで申し訳ありませんが、原因不明の心身の不調は、外界の何かについて、ノーを言っている。
それについて書きたくて、ブログを書きました。
そぉ~んな、わけぇ~。