昨日は夜の七時ぐらいにはもう床についていたと思う。
さっき起きてぼーっとしていた。
そしたら窓の外からウグイスの鳴く声が。
人のいたずらではないようだ。
なぜなら私の部屋の高さにストレートに入ってくるし、鳴き声が移動するから。
このウグイス。
私がこの家に来たときだから、今から三十年前から代を継いで親子で来ているウグイスだ。
生き物はいじめない限り代を継いで親子で来て親が連れてくると子供が安心してやってくる。
きっとその頃から家の周りの人たちがいじめないで声を楽しんでいたのだろう。
窓の外から聞こえるウグイスの声に、そんなことを思ったικμτであった。
夢やロマンを追いかけている人たちには申し訳ないが、徳川埋蔵金は家光公が日光東照宮造営などでほとんど使ってしまっていることだろう。
なぜか?
金は持っていること示すより、社会に還元してしまって手元に全く残っていないことをわかりやすく示すのが上策なのだ。
金を持っていることがわかると、悪人たちが近寄ってくる。(イギリスのことわざ:金は血を呼ぶ。)
統治経験のある自民党は、プラザ合意で国府がすっからかんになる前に、ふるさと交付金などでバブルのもうけを地方に還元し、一切民を搾取していないことをポーズして見せた。
ある意味コロナ問題で国民全員に一律十万円配布したことは、消費税増税の怨嗟をそらすには良いきっかけになったことだろう。
国が増税によって民から搾取していないことを見せつけるために。
同様に、徳川宗家が莫大な軍資金を持っていることは、まだ戦国の名残のある諸大名の怨嗟を招く。
故に元和偃武を演出した東照神君顕彰という形で、派手に出費して見せ、徳川宗家に金がないことを示したのである。
これを考案した人は政治経済上の天才であり、将軍家や諸大名の日光東照宮の往復などで金が落ちる街道筋に住む農家の長男以外の子弟にとっては、宿場町は良い就職先になったことであろう。
金は自分の価値創造に対する報酬であるが、別な側面から言えば、血液みたいなものだ。
血の巡りがいいと言うことは体が元気だと言うことだ。
麻生さんが貯蓄するな! 使えというのはそういうことなのだろう。
もっとも、保険会社の支払い拒否や生活保護の水際対策などと言うようなせこい手を使わず、貯蓄等に頼らなくても、万が一の時には保険会社や国がきちんとカバーしてくれるという信頼関係を醸成するのが先決問題であろうと思うが。
何かのきっかけで、徳川埋蔵金からこんな話になって申し訳ない。
以上である。
二千二十年東京オリンピックを失われた三十年を打ち破る一大イベントにしたかったようだが、そのもくろみは頓挫した。
そんなことはどうでもいい。
国は報いる気があるのであろうか、コロナと立ち向かい、日夜鎮圧に汗を流す衛生活動従事者に。
他の国ならこんな時に国家の力を発揮せんばかりに衛生活動従事者を叙勲したり名称称号を与えたりする。
計画があっても秘匿しているなら、私のブログは実に野暮だが、こういった無名の英雄女傑たちに叙勲や名誉称号を与えることが国家統治の要諦である。
私が首相だったら、コロナの猖獗が治まり次第、これらの人たちにコロナ特別報償として、栄誉称号を与え、とりわけ功績のある人たちは特別生前叙勲をする。
彼や彼女たちは自分たちの頑張りが認められたと大いに喜び誇りに思うことであろう。
治療法のない感染症の洗礼に立ち向かった衛生活動従事者一人一人に対する、国からのボーナスに。
兵法経営で有名な大橋武夫氏は、きっと自社社員たちにこれらの称号や、記念品を与えただろうと思う。
経営学を知っていても統率がわからない三等トップが増えたのは、戦後の公職追放の忌むべき傷跡である。
以上である。
千葉県内の道の駅、栗源(くりもと)の駐車場で写した写真です。
ハローさんとのキボンヌドライブで撮った写真です。