たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

中越地震から10年

2014年10月23日 | 日記

泣き出しそうなお天気の日でしたが、どうやら一日持ちました。今日は嫁が養護教員なので、パート先の小学校の修学旅行の付き添いで奈良・京都へ出張、息子は全国公立学校教頭会とかで出張。二人とも外泊するので留守番を頼まれました。中3ともなる孫娘と大学通学の姉がいる。冷蔵庫に食料は十分用意してあるとのこと。自炊など中学生になれば当たり前、と言っておきました。
下校してきたので「しっかりやれよ」と声掛けしました。「がんばるよ」と言っていました。

今日はまた、中越地震から10年とか。新聞とテレビは記念特集です。04,10,23日午後5時56分。地震発生時間に現地では黙とうし慰霊祭が行われた。地震発生時長岡市の県道脇の土砂が崩れ、県道を走っていた母子3人が乗ったワゴン車がのみ込まれた。93時間4日ぶりに車と大きな岩石の間に奇跡的に皆川優太君(当時2歳)が生きているのを、東京消防署レスキュー隊に発見され救出された。その画面を何度もテレビは放映し全国民は感動した。
今日の新聞はほとんど、テレビもNHKはじめ東海テレビの夕方スーパーニュースで12歳・中学1年生になった優太君の日常と、しっかりしたコメントを報道してくれた。
クラスでも身長は2番目の高さ、大きくなって柔道に励む姿に安心しました。優太君は亡くなったお母さん(当時39歳)と、お姉さん(当時3歳)の思いを胸にがんばれ。育ての親の祖父は自分と同じ78歳、祖母は76歳と同居とか、あと十年長生きして優太君の成長を見届けてください。


奇跡を願って

2014年10月23日 | 日記

過日新聞で重篤な病気になった患者や家族が、病状や治療状況を積極的にカミングアウト(公表)する人が少なくないと書いてあった。
数ヵ月前、ある方のブログでご主人に突然がんが見つかり、それも骨転移していて、初診でいきなりステージ4を告げられたとアップされた。ブログにカミングアウトするようご主人が奥さんに言われたとのことだった。

この方は3年前、市主催のブログ講習会でご一緒した方で、その後双方のブログを閲覧し合って、よくコメントの交流を重ねてきた人でした。それ以外はお名前も知りません。
そのブログ記事で自分が7年もの間、いくつものがん治療でお世話になった病院の救急医療について書かれれていて、少し気になっていたので、県庁の地域医療推進課へ問い合わせしていた返事が昨日きました。

”岐阜県総合医療センターにおいて○○様のご友人が受けられた救急診療に関し、ご友人のブログ記事を元に○○様からご質問をいただいた点について、同センターに確認いたしました。同センターでは、該当すると思われる患者さんについての治療内容や対応について検証しましたが、不適切な点は認められなかったと考えています、とのことでした。
これ以上のことについて、ご本人又はご家族以外の方にお答えをすることは、個人情報保護の観点から困難であると考えます。ご了承いただきますようよろしくお願い申し上げます。”

”了解しました。ご多忙のところありがとうございました。
信頼される地域医療のため尽力されるよう望んでいます。多謝!”
と、お礼を申し上げました。

何を問い合わせたか。
”下記のネットサイトに県病院の救急医療を受診した模様がアップされている。
http://blog.goo.ne.jp/hygoodday1203/e/92b6b9fa2b91acfe331b53d0b6a47d82

痛みが激しく、原因が分からず、その前にCTの予約をしていたこともブログで分かります。
痛みで救急医療を求め原因不明で入院を希望したが断られたとあるが、帰宅にストレッチャータクシーを呼ばなければ、帰宅できなかったような患者を何故緊急入院させなかったのか、県病院の対応・救急医療の在り方に不備がないのかお調べください。
わたしはこのブログの主婦とは無関係で、市のブログ講習会で一度会っただけのブログ仲間です。”

ブログ閲覧による第三者の救急医療の在り方を尋ねるのは、これにより患者自身に不利にならないかと逡巡したが、そんなことにはならないだろう、むしろ第三者が救急医療の在り方を問う方がベターだと思ったからです。
問い合わせたのが9月30日だったので、返事は来ないだろうと思っていたので、県庁と病院の誠意に感謝しています。患者に奇跡が起きることを願っています。

本来は病院へ問い合せる要件であるが、どこの公立病院でもメールでの問い合わせには応じていない。電話だけだ。それで過去の自分の治療体験から県病院なので県庁へメールで問い合わせた訳です。
自分の場合は受診票の欄外に私だけいつも「感」と必ず印刷されるからでした。この意味は細菌に薬が効かない耐性菌MRSAが最初のがん手術「膀胱がん」の際見つかったため。その後何回も手術したがは異常がないと、主治医と看護師から丁寧に説明されました。

とにかく亡妻の末期も乳がんが腰椎転移し、痛みが激しく、患者の苦しみは経験済みです。
がんセンター名誉総長、垣添忠生先生の「妻を看取る日」、12歳年上の駆け落ちしてまで一緒になった恋女房の末期を看取った好著があります。先生もその中で「骨転移しなくてよかった。痛みが激しいから・・」との一節があります。