たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

連続無窮(れんぞくむぐう)

2012年01月25日 | 読書

             花が咲いて蝶が来る 蝶が来て花が咲く
             花は無心 蝶は無心 良寛 (愛知県犬山市寂光院)

仏教講座では講師が本を出版しておられる方は、受付に何冊か購入できるよう持ってきて陳列される。12月の仏教講座は元明治学院大学名誉教授、阿満利麿(あまとしまろ)先生の講演で先生のご著作2冊を求めた。

「親鸞」ともう一冊は、氏が代表者の同人誌「連続無窮」(れんぞくむぐう)、1,200円と高めであったが実費、同人誌というのは何を書いてあるのだろうと買ってきた。
講演の最後にこの本の出版直前に起きた、福島原発の事故に対する同人一同のメッセージを読まれた。

「連続無窮」とは難しい言葉だ。親鸞聖人の言葉と紹介されたが解説はなかった。1月の講座で廊下においてあったパンフを貰ってきたら、そのパンフにその言葉が書いてあった。

”前(さき)に生まれん者は後(のち)を導き、後(のち)に生まれん者(ひと)は前(さき)を訪(とぶら)え、
連続無窮(れんぞくむぐう)にして、願わくは休止(くし)せざらしめんと欲(ほっ)す”
「安楽集」(あんらくしゅう)

先週、喫茶店の週刊誌、週刊現代だったか、五木寛之氏が新聞で連載された「親鸞」(下巻)が出版されて、記者の取材を受け、「親鸞という人は、多くの著作や手紙を残されたが、自分のことは全く書き残されていない。僅かに奥さんの恵心尼・消息(えしんに・しょうそく)という手紙が西本願寺の蔵で偶然発見され、それが伝記の手掛かりになるのみ。巷間親鸞伝記はこれを基にされるが、この手の伝記を書こうとは思わなかった。自分の想像する親鸞像を思うがままに小説にしようと思った。とにかく親鸞という画数の多い漢字をしんらんと読んで貰える人が増えたら幸いだ」と言う趣旨だった。

それにしても親鸞という人はすごい人だ。
”早くに母親を亡くし、養和元年(1181)9歳のときに叡山に上がり、愚菅抄(ぐかんしょう)の著者として有名な慈円(じえん)の弟子になる・・しかし彼は29歳にして叡山を去った・・”
(歎異抄入門 梅原 猛 PHP文庫)

当時の比叡山は今の東大、総合大学のようなものだったらしい。電気も、辞書もネットも無い時代にどうやって、20年間も黙々と学問を勉強されたのだろうか。学識は第一級といわれる。
昨日は何となく新聞記事からたいそうな東大論を述べた。今日は何となくこういう記事になった。

さて「連続無窮」の意味であるが、漢和辞書を引くと、「窮」(きゅう)は、きわまる、つきる、なくなる、などをいうとあるので、「つながりつづき、つきることなく」という意味と解した。

・・たとひ法然上人にすかされまひらせて・・法然上人にだまされて念仏したため地獄に落ちても後悔はしない。・・歎異抄(たんにしょう)第2条・・、連続無窮とは、ゆらぎもしない師への敬愛と信心、念仏がこの世につづくことを願われた言葉であろう。

ブログなどというアホなこと始めて、買ってきた本の読書がサッパリ、目はショボショボ、肩はコリコリなのである。

付録)連続無窮は道綽禅師の言葉を親鸞が主著教行信証の最後に記されたものらしい。この方のブログをご一読を!


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