宮内庁:玉音放送の原盤を初公表 音声も公開
映画「日本のいちばん長い日」公開日の今日オープニング上映午前11時を見に行きました。
夏休みの映画館は混んでいた、切符売り場の行列が折り返しで5列も待つのは音楽会並みでした。上映が始まる前1番スクリーンは前ほどの通路後ろの席が満席になるほど、200人は入ったのは近来にないことです。
良くなかった点 役者のセリフが3分の1も聞き取れない。録音技師は失格の映画だった。
良い点 昭和史の大事な1ページで、日本人の特に若い人に見てほしい映画だった。
副題は THE EMPEROR IN AUGUST
原作 半藤一利(はんどうかずとし)今まではんとうと読んでいた。「日本のいちばん長い日」文春文庫刊決定版
監督・脚本 原田真人
降伏か、本土決戦かーー。その決断に、すべての希望は託された。
終戦――日本の未来を信じ、戦争を終わらせるために闘った、実在の人々
鈴木貫太郎(山崎努)1868~1948 享年89歳
第42代内閣総理大臣 1945年4月7日昭和天皇の内閣総理大臣就任の要請を、高齢を理由に辞退するが、たっての天皇の要請で総理に就任する。戦局は悪化の一途をたどり、8月6日に広島、8月9日には長崎に原爆が落とされる。ポツダム宣言が発せられ降伏か、本土決戦かを迫られ閣議を主宰し、終戦に向けて尽力した。
昭和天皇(本木雅弘)1901~1989享年87歳
日本の124代天皇。御名を裕仁(ひろひと)、称号は迪宮(みちのみや)降伏か、本土決戦かで閣議は紛糾し、ポツダム宣言受諾賛成、反対が半々となり、鈴木首相にご聖断を要請される。日本の未来を信じ一人でも国民を死なせないため受諾を聖断された。国民に玉音放送される。
阿南惟幾(あなみこれちか)(役所広司)1887~1945享年58歳
鈴木総理の要請で陸軍大臣に就任、1929年から1933年、鈴木貫太郎が侍従長として天皇に仕えた間、侍従武官として天皇に仕えた。陸軍600万人の代表として本土決戦を主張するが、天皇陛下の聖断を拝してからは軍部の暴走を止めることに腐心すると共に、天皇の身を案じる。玉音放送される少し前陸軍大臣公舎で自決する。
迫水久常(さこみずひさつね)(堤真一)1902~1977享年74歳
内閣書記官長 組閣本部を仕切り、書記官長に就任。
畑中健二1912~1945(松阪桃李)終戦に反対する青年将校。享年33歳
以上 パンフの抜粋 イオンシネマは上映中のパンフを置かないバカな営業をする。
見て損な映画ではない、重ねて言うが録音が良くない。テレビでやるときは字幕を入れて。
今朝の読売はこの映画評を掲載して時宜を得ていた。読売編集手帳子は若い人でたまおと放送という人がいると書いていた。
「玉音放送」の原盤と御文庫付属室の映像などが公開されました。(15/08/01)
私はこの玉音放送を聞いたのは国民学校2年生で、夏やすみに臨時登校を招集、今日は大事なラジオ放送があるので聞くように言われ早々に帰宅し、異常な雰囲気だった。ラジオのあった家に村人や父母、子供らが集まり正午に聞きました。
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