金曜日は亡母の五七日忌であった。
法事とはそもそも「仏法の事」という意味で、本来はあらゆる仏教行事を法事と呼んでいた。最近は故人をしのぶ追善の供養をさすようになり、五七日忌は大事な日とされる。
先祖や亡くなった人を心から追悼すると同時に、生きている今の自分を冷静に考えてみる。この意味をしっかり心に刻んでおくべきとされているが、今の自分をなかなか考えることができないでいる。
中陰(ちゅういん)供養とは、亡くなったその日を入れた49日間の供養のことである。
中陰供養の数え方は、最初の初七日(しょなぬか)以下、二七日(ふたなぬか)、三七(みなぬか)・・五七日(ごしちにち:35日)とつづき七七日(しちしちにち:49日で満中陰を迎えることになる。
なぜ七七日忌にこだわるのか----仏教では、亡くなった人が「生有」(しょうう)という新たな生を得るまでに49日間かかると考え、その期間をさして「中有」(ちゅうう)または「中陰」と呼びならわしたからである。そこから、49日忌を中陰供養というようになった。
七七日忌は満中陰、これが忌明けで死者にとっては死後の運命が決まる日であり、喪に服していた遺族が、ふだんの生活に戻る日。仏壇の横に飾られる中陰壇を取り払うので、また、忌明けを「壇ばらい」と呼ぶこともある。
人は死後49日間にわたってあの世とこの世の中間の世界である「中有」をさ迷い、49日目にようやくあの世に達すると考えられている。
その49日間に七つの関門をこえなければいけないとされ、そこで7日刻みの日を関門の無事通過と、よりよい死後の世界への到達を願う法事とされる。
(出典:「いまだから求められる 仏教 早わかりエッセンス事典」 著者 現代仏教を考える会 土屋書店 1990・12刊)
最近は七七日の満中陰を待たず、五七日忌(35日目)で親族・親戚を招き法事を行う場合も多い。亡母の七七日忌法要は25日(土曜日)と決まり、早々に案内状が来た。
五七日忌の日は仏事には程遠く、ホームコースへ打ちっ放しの練習に行った親不孝者だった。
きっと一杯咲いているのでしょう?
その中、2輪の花姿をフォーカスして撮っているのですか?
画面の構成、素敵です
ハナショウブ(花菖蒲アイリス)きれいですね。
マクロ撮影・珍しくピントが合いました。
あまりCanonの悪口を云ってはいけませんね。
昨日(土)の夕刻Canonさんから、ご丁重な返信がありました。
撮影場所はいつも行く、関市武芸川町のゴルフ場の近く、道端の民家の庭に、少しだけ楚々として咲く、ハナショウブです。5月8日の撮影です。
「いずれがアヤメかカキツバタ」今度ブログネタにします。