
当市北東部・鵜沼地区を昔は村国郷といい、飛鳥時代の地方豪族に村国男依(むらくにおより)がいた。後の天武天皇・大海人皇子(おおあまのみこ)の舎人(とねり)で壬申の乱(じんしんのらん)で大きな功績があった。
”672年の壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)に属して戦い、近江方面の諸将の筆頭として連戦連勝し、最大の功を立てた。”(Wiki)
功績により八色の姓(やくさのかばね)で「連」(むらじ)が下賜され「村国連男依」(むらくにの・むらじ・おより)という。市役所ロビーに小さい全身像の塑像がある。
境内には、わが国に現存する農村歌舞伎舞台として、最も原形を保つと評価されている村国座がある。
前を流れる新境川沿いは歴史散策道に整備されている。
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