わたしは副幹事でしたが役立たずでした。宴会の席では、それぞれが「どう生きて来たか」苦労話などを、一人づつスピーチする提案がされました。
一人の級友は、伝統的「飛騨染め・ゆはら染工」会長さんなので、席上スピーチと共に自らデザインし染め上げた馬頭観音・暖簾を全員にお土産にくれました。由緒書きは味のある級友の直筆です。
彼は祭りの鶏闘楽(けいとうがく・鐘打ち)や獅子舞の衣装を伝統的手法で染め上げる、現代の名工です。
地元の幹事さんも骨折ってくださり、地元女性幹事が席上で配ってくれた「北国の春(高山バージョン)」を全員で生オケで、締めは「夜間部の歌」「斐太高校校歌」を合唱しました。
この種の替え歌が作られるのが飛騨高山らしいところです。現在の飛騨高山高校が「夜間部の歌」を今でも歌っています。幹事さんが作った「同窓会しおり」に歌詞が記載されており、3番歌詞の冒頭が斐太高時代の原歌詞、
「抱く巴城(はじょう)の 正義の鐘に
若き血潮をたぎらせつ」・・・が、
「行こう若人 希望を胸に
若き血潮をたぎらせつ」・・・に、改詞されています。巴城ヶ丘とは斐高の裏山のことです。
通信教育課程を卒業した級友が目ざとく見つけ、質問されました。
古川祭りもこの日でしたが、私は見たことがないのです。
縁起物の紙の絵馬は8月に何ヶ所かで売られますが、この絵は作者が違い絵馬は何人かがおられるようです。
私の同級生は昔からの伝統的家業の染め物屋で、寒ざらしの作業を毎年歳時記としてテレビ放映されます。
斐太高校の白線流しは超有名になりましたが、夜間部には無縁でした。歌は「巴城ヶ丘別離の歌」といい、EINS ZWEI DRET (アインシュ ツヴァイ ドライ)とドイツ語が出て来る時代物です。
先日高山祭だったとテレビで見ました。古川祭りもこの日催されたのではなかったのですか。古川祭りの日は高山の旅館もいっぱいになると聞いたことがあります。
前に高山の紙の絵馬を買いに行ってきたと友人が言っていましたがそれとこののれんの絵馬
とは作者が違うのでしょうか?
高山は今は新緑の良い季節だったことと思います。
斐太高校は白線流しで有名ですね。