1月10日の朝は霜でグリーンも真っ白
2年前のこと、お世話になっている地域の総合病院で、命に関わる臓器の悩ましきできものを、1年前から経過を見てこられたが、やはり手術が必要と宣告された。
つらく厳しい手術は成功し退院後の定期診察で主治医に、「先生は大学院では高度先進外科ご出身のようですが、同じ教室の○○先生ご存知ですか・・」、「彼知ってるの・・彼は私の良き飲み友達・・しょちゅう会うよ・・」、「アララ・・」、これほど世間は狭い。
この○○先生である外科医は、昨日の記事「四苦八苦」の飲食店主人の息子さんです。
この父上は優しい心根で、手術入院すると必ず見舞いに寄ってくれた。
この息子さんは、当時でも多い方の同級生10数人という田舎中学の大秀才であった。
中学の授業が欠講になると自主授業をリードしたり、中学の先生が「医者か弁護士にでも」と親に勧めたらしい。
今では国立大学病院の医師、働き盛りのエースらしい。大学院の臨床講師でもある。外国にも2年間留学した。
20年ほど前、この田舎の地に縁あって最後の会社員生活をさせてもらった。
あるとき下宿して県下一の進学校へ入学して、成績順位が常に10番以下だという大秀才の顔を見たいな、と言っていたら、本当に我が社宅へ夏休みに帰省した息子を連れてきた。
学費はご両親が一生懸命に働いておられるし、教育ローンもある、良い医者になって人助けしてねと、余分なことを言い、あろうことか高校生の彼に缶ビールを飲ませた。(非常識)
親父殿は我が社宅の庭で爺のゴルフクラブで素振りをやっていた。
ここを最後に退職し、彼が大学4年の頃、一夜我が家でこの二人と食事を供にした。ビール数本と、安かったので日本酒を1本買ってきたら正月過ぎのダラ甘のお屠蘇酒だった。
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