土日祝日のみ解放されている、戦争遺跡に行ってきた。
今までは海上自衛隊が通信所として管理していて一般の人は立ち入ることができなかったものの、市に移管されて見学できるようになった。
門の正面には土塁が築いてあって、中を見通せないようになってる。
土塁の裏側にある建物(中央右)は以前は通信施設だったけど、取り壊されて資料館に。通信施設のまま資料館に使ってほしかった気持ち。
大きな柑橘類(ナツミカンか)が植わっていたけど、海自時代からあったものか。ちょっとほほえましい。
山の上ということもあり生活用水にはかなり悩まされたけど、施設内通路で雨水を集め(正面の石垣の両側から手前に伸びているのが溝の蓋)、
雨水桝に集められ、浄化されて生活用水に使われたとのこと。この浄化装置は現在でも稼働していて、検査されていないので飲用に使えるか不明ながらとてもきれいな水が溜まってました。
海上自衛隊の通信所だったころの名残。
取り外されていないのはうれしい配慮。
曲面に対して角度が付いて開いた通路を支えるレンガは「ねじりまんぽ」と呼ばれる特殊な積み方。関西ではよく見かけるけど、関東ではとりあえずのところここだけでしか見られないとのこと。
「小菅集治監」で作られた桜の印。普通は見えないように積むものなんだそうですが。この砲台跡ではほかに4か所ほどあるらしい。
焼成時焼き過ぎたレンガは失敗作ではなく、水に対して強いことから、水のかかりやすい部分に使ったとのこと。(左側の色の濃いレンガ)
発射するのは榴弾砲で角度を付けて打ち上げることや、海から見えてはいけないことから、砲台はすり鉢の底に設置されています。黒い二つの物体は、ほぼ実物大の28サンチ榴弾の模型。
面白い手ブレ写真が撮れた。なんかぐるぐるボケっぽい。
井戸から顔を出したノゲシ。
観音崎や猿島の遺構がかなり荒れているのに比べて、ここはとても状態が良い、というのも自衛隊の施設で一般人が入ることができなかったから。
大体、廃墟や遺構が傷む原因は『そこに無計画に人が行くから』で、そこを維持するために整備することが更に傷める、と考えているので、状態良く保存するのには、入場制限は必要だし、そういう意味での適切な管理は大切だと思いました。
ボランティアによる解説があるのがうれしいところです。