諏訪に旅行に行くのに、M-1だけ持っていく心づもりで、今さらながら「カメラの勉強中」。
今までカメラの露出計だけ確認してシャッターを切っていましたが、被写界深度を出したり背景を上手くぼかしたりするのに、シャッター速度と絞りを調整することが必要だとは、なんとなく分かってきましたが…
「絞り」を絞ったとき(フィルムにあたる光の量が少ない)のほうが被写界深度が深くなる、という感覚がイマイチ実感できませぬ。まぁ「そういうものなのだ」(実際にそうなる)、と理解するようにしているのですが。(⇐実感が湧いてない)
それとは別にM-1の使用説明書を(これも今さらながら)ペラペラめくって、ハードウェアとしての勉強もしていますが、これは各ページバラしてA4の紙に貼り付けたら2枚に満たないような情報量で、本当に「カメラの使い方」だけしか載ってない。たとえばE-PL2やXZ-1と比べても恐ろしいくらい少なく、母親のNikon D750なんてそれこそポケット辞書くらいの厚みがあり、目次から必要なページを探すのも大変なくらいなので、結局トリセツの厚みは「コンピュータ制御の部分」の分なんだなと実感。E-PL2どころかXZ-1の機能さえ使い切れていない自分にとっては、「その使わない機能の分をレスオプションにしてほしい」くらいなのですが。ハイエンドモデルになればなるほど簡素化して、レンズの性能と撮影者のセンスで勝負できるモデル、カッコよくないですか。
利かせすぎて目がいたくなるような作例を何度か見ているので、使うべきかちょっと考えていたのですが、PLフィルターを買いました。光の入ってくる向きによって効果がある場合と無い場合、利かせすぎて嫌味になる場合、などこれもフィルムをそれなりに無駄遣いしないと感覚のつかめない案件になりそうです。
デジカメでは気にしなかったようなこと(すなわちそれまではカメラ任せで撮影していた)が、すべて手動になったおかげで能動的にならないと写せなくなった、撮りたい写真になるよう撮影するために、どのようにしたらいいのか考えるようになった、ってことを考えると、今の自分にとってアナログカメラというのは、良い教材になっています。
この後、地域の写真クラブによる合同展示会、その後は所属クラブの写真展と続きますが、デジカメでなくカメラで撮影した作品が出せるように、まだまだ勉強続けます。
そういえば、知人が「メディアに記録しておいた子供の写真が読み込めなくなり、それからは大事な写真はフィルムで記録することにした」と言ってて、そういうこともあるんだなと感じました。
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