遊戯三昧

いかに人生を楽しんだかという進行形の記録です。

自粛生活その5

2020年05月07日 | 自分
その後もせっせと昼食、夕食作りに勤しんでいます。

   

自分で作ると素材の違いもわかるような気がしますね。
連休が終わっても1週間に1回はこういうことをしても良いかもしれません。



しかし家の中にばかりいるのもやはり飽きてしまう。
気分転換にベランダのみにしました。
いつの間にか日が長くなったことに驚いています。
1時間くらい飛行機が上空を飛んでいないことに気がつきました。

          *

緊急事態宣言も延長されました。
現状では適切な判断と思います。
諸外国との比較で日本の対応を評価(批判)している人もたくさんいますが、私はもっと根本的な「死生観」にもつながるような違いがあるような気がします。
以前狂牛病が流行したときに、日本は輸入牛の全頭検査を求め、アメリカはそれを非常識としました。
「ひとりも平等に死なせない」という考えと「できるだけリスクを回避する」という考えは、その発想を全く異にします。
こういう違いはどこから来ているのでしょうか。
そういう意味で今回のスウェーデンの対応は非常に興味深い。
あえて言えば戦略的に国家規模でトリアージしているような印象を持ちます。

          *

たまたま高校の地理の教科書(山川出版社もういちど読むシリーズ)を眺めていたら、興味深い記述を見つけました。少し長くなりますが引用してみます。
「世界の多くの国は、人が国家をつくるという思想から生まれた。(中略)したがって、国家の興亡は人しだいである。国は自分がつくり、守る。しかし、日本は日本という国土が先に存在し、自分がそこに生まれたから日本人になったのであって、国は生来与えられたものである。したがって、日本人には、日本はかつて存在しなかった国で、また亡くなるかもしれない国であるという発想はみられない。国が自分をつくり、存在させるのである。(後略)」
ここから、
人(自分)があって国が存在する→公共のものは人々のものである。
国があって人がいる→公共のものは国のものであるが、自分のものは自分のものである。
という風に民度の違いを解説しています。
もう少し自分の中でも咀嚼しなければなりませんが、諸外国と比較する場合にはこのようなバックグラウンドを踏まえておく必要があると思います。

toko
コメント
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