遊戯三昧

いかに人生を楽しんだかという進行形の記録です。

何もなかった夏

2021年09月01日 | 意見
9月になりました。

7月10日に緊急事態宣言等が解除されたものの、あっという間に陽性者数が増加し、その結果再宣言となったままの状態です。
生活上の閉塞感に押し潰れそうになりながら、それでも仕事が出来るだけ良いと思って毎日を送っています。
その閉塞感とは全く異次元の国際的なイベントが開催されていることとの違和感はぬぐえません。
どこかに書いてありましたが、学校単位でイベントを観戦することより、修学旅行の方が生徒にはずっとずっと大切なのです。
みんなでじっと我慢する覚悟を決めているのに、一方で式典が開催されているのでは、その覚悟・決意に水をかけているのは間違いない。
尾身会長が怒りをあらわにしていましたが、イベントで感染が広がることではなく、決意への水かけが問題なのです。
国としての覚悟が見えない。

         *

私はまだ仕事が出来るからいい。
新型コロナウイルス感染拡大のために、仕事をしようと思っても出来ない人、砂を噛むような学生生活を送っている人、生活が立ちゆかない人がひとりでもいるのならイベントは出来ないという考えにならないのでしょうか。
運動会も中止しているのに。

         *

どうせ9月12日には宣言は解除されないでしょう。
延長の際に、また「これを最後の宣言とする」と言うのでしょうか。
その台詞を何回聞かされたでしょうか。

         *

デルタ株は確かに今までとは違う。
そのパンデミックの中でオリンピック・パラリンピックを強行した「つけ」はもう返せません。
水はどんどん低きに流れます。
それはそれ、これはこれ、とはならない。
その意味では、今後何をやっても、どう呼びかけても手遅れだとも思います。

         *

こうして、何もなかった夏が終わります。

toko

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帰省規制

2021年08月06日 | 意見
Twitterで以下のような投稿を見つけた。

政府「頼むからお盆の帰省は止めて下さい」
国民1「中止の考えはない。強い警戒感を持って帰省に臨む」
国民2「バブル方式で帰省する。感染拡大の恐れはないと認識している」
国民3「帰省を中止することは一番簡単なこと、楽なことだ。帰省に挑戦するのが国民の役割だ」

…秀逸と思う。

オリンピックは数の上では感染拡大の直接原因にはなっていない(それでもクラスターが発生したようだ。)が、私も含めて国民は上記のような気持ちを持っているのだろう。
海外から人が来ているのに何で実家に帰ってはいけないのかと思うのは当然である。

この週末も3連休になる。
人流が思うように下がらないから、法を改正しようというのは危険な考えだと思う。
危機感を感じる。
検査陽性者が増えるのは、そもそも「やること」をやっていないのだから、当たり前ではないか。
今の状況は想定されていたこと、専門家が指摘し続けていたことである。
ニュースで感染拡大を重大事件のように放送した直後に、オリンピックの鼓舞するような音楽が流れるのはどう考えても違和感がある。

toko

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まん延防止等重点措置

2021年04月20日 | 意見
本日から横浜市にもまん延防止等重点措置が発令される。
今回は変異株のウイルス流行があるので事情は異なるものの、今までの第○波というのは、ただ単に人流が抑えられたために見かけ上陽性者数が少なくなっていたのが、宣言が解除されて元に戻ったということの繰り返しだろう。
あくまで「見かけ」の問題であり、根本的なところは変わっていなかったと考える方が適切と思う。
国会で、諸外国に比べてワクチン接種数が少ないとグラフなどを用いて追及している議員もいるが、そもそも陽性者数の数の桁が違うのだから治験も同じようなペースでできなかったと思われる。
陽性者数を母数にした接種者の割合の変化を追ってはどうだろうか。

          *

パンデミックは感染対策よりも災害対策と捉えるべきであると言う人がいるが、まさしくその通りである。
しかし日本は基本的にはお願いベースで危機管理をしていくしかない。
これは決して悪いことではなく、これまでの歴史を振り返るとまさにそうあるべきなのだ。
この点を踏み外すことがないようにしていかなければならない。
重症者が適切な医療を受けられなくなることは重大問題だが、ゼロリスクを追い続けているのも現実的ではない。
そのようなスローガンをあげている政党もいるが、今後一切風邪をひく人をゼロにします!と言っているようなものだ。

          *

強制的なロックダウンのような措置はできず個人個人の意識に訴えていくしかないこと、新規陽性者をゼロにはできず一定数の重症者・死亡者も防ぎようがないこと、むしろそれを前提に経済活動を行うことなどを宣言する政治家・専門家も求められているのではないか。

toko
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感染症法変更について

2021年01月29日 | 意見
自民、立憲民主両党は28日、新型コロナウイルス対策の実効性を高めるための政府提出法案の修正協議で、感染症法改正案に盛り込んだ刑事罰を撤回することで合意した。入院を拒否した感染者らへの懲役は削除し、「罰金」は行政罰の「過料」に切り替える。過料は特別措置法改正案に規定したものを含めて減額する。(1月28日付け時事通信)

          *

ホント?と耳を疑った。全撤回ではないのか。
話の推移は気にしていたが、さすがに国会の良識を信じていたのだが…。
以前にも記載したが、検査陽性者=感染者ではない。
急速に進行し不幸な転帰に至っているケースが報告されているが、今までの死亡者数は「コロナそのものによる死亡」だけではなく、(確かにコロナ感染が影響している可能性は否定できないが)持病の悪化で死亡した場合でもPCR検査が陽性であればも全て「コロナによる死亡」とされている診断書の集積である。末期の高齢者でも死亡時にPCRが陽性ならコロナに殺されたという論調で報道されている。メディアとしては「本日の新たな新型コロナウイルスのPCR検査での陽性件数は○○件でした。このうち明らかな症状を伴っている人の人数は△△人です(○○人ー無症状の人数)。本日死亡した人のうち死亡時にPCR検査で陽性だった人は××人でした。」という表現が正しいはずだ。ちなみに変異株を変異種といったり、死亡率と致死率を混同していたりする不勉強が目立つ。ワイドショーでも公共の電波を使用している以上、不勉強=不謹慎である。
コロナ脳という言葉があるが、国会も含めて国民の大部分がそれにおかされているのではないか。

          *

しかもこの場合の入院は治療ではなく隔離が主目的である。ハンセン氏病などでの過ちを二度と繰り返さないと言っていたはずなのに、言語道断という意見が出てこなかったのが理解できない。今回の感染症法の変更は大きな汚点として後世に永遠に残されるだろう。

toko

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新型コロナウイルス感染拡大について思うこと

2020年08月27日 | 意見
このblogにはあまり自分の意見を書かないようにしてきた。
そういう場合にはTwitterにつぶやくようにしている。
しかし、今回は字数の関係もありこちらにエントリーすることにした。
そのため初めて「意見」というカテゴリーを作成した。

          *

どうして急に思い立ったかというと、新型コロナウイルス感染拡大に伴って偏見・差別をなくそうという動きがメディアで放送されるようになったからである。
緊急メッセージとかで「○○しない」などと5項目くらいあげられていた。
そんな行動を謳うのではなく、もっと本質的な問題があるだろう。

          *

偏見の英訳はいろいろあるが、私は日本の「偏見」に当たる英語はprejudice が一番相当と考えている。preはあらかじめ、前もってという接頭語であり、後半はjudgment ジャッジメントである。「あらかじめ判断する」という意味でむしろ「先入観」のニュアンスの方が近い。

          *

新型コロナウイルスにはわからないところも多いが、それをよりどころのようにしてさんざん扇情的に情報を流していたのはどこか。「殺人ウイルス」などと呼称していたのは誰か。PCR検査をスクリーニングのように全員に施行して、陽性者を隔離しようとするのはハンセン氏病患者の隔離政策にもつながると思うのは私だけか。インフルエンザキットを無症状者に行うべきだと主張する人間はいない。インフルエンザ様の症状があり臨床的に疑わしい場合に、決め手の一つとして行うものだからである。事実この2月には新型コロナウィルス感染の恐れから、インフルエンザキット検査は禁じられ「総合的に判断するように」という指針が出されている。検査とはそういうものである。どんな検査にも感度・特異度の問題があり、擬陽性者・擬陰性者は一定数存在する。擬陽性者も含めて全て隔離しろという主張・権利の根拠はどこにあるのか。逆にそのようなスタンスに立てば、PCR検査陰性者はいつまでも陰性でいられるのか。ましてやPCR検査はウイルスそのものを検出するものではない。そこにあったウイルスの残骸のRNAを捉えただけの可能性もある。それなのにPCR陽性者をイコール感染者と報道する根拠もわからない。そう言えば流行の初期は「新型肺炎」と呼び習わされていたがいつの間にか「肺炎」が取れてきている。PCR陽性だけで症状を発症することもなく、すなわち肺炎まで至らない陽性者がたくさんいるということだろう。当たり前すぎる話なのだが、国会でもいわゆるリベラルが自らの不勉強をさらけ出してしまっていた。

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PCR検査については強力な推進派と懐疑派とがいる。
経済活動の活性化を考慮し、検査陰性者だけ労働させようという意見もあるくらいだ。
私はそのような考え方こそ「偏見」を助長していると思う。
陽性者の中に無症状の感染者も少なからず含まれていることは事実だが、上記の理由でラベリングに他ならないと私は考える。
検査は正しい目的で使用されなければならない。
今までの自らの主張を振り返り是正するべきところは是正していかないと、国民の「先入観」は払拭されず、「緊急メッセージ」はお題目に終わってしまう可能性がある。

          *

以上はつぶやきである。
議論することは目的としてない。

toko




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