ずいぶん前に、藤子・F・不二雄の短編作品で、国の無謀(?)な計画のもと、一人の若者が宇宙船に乗り、宇宙の果てを目指す、という漫画がありました。それは、果てしない時間の空間を行く、帰還を考えない計画なので、志願者は行けば絶対、戻っては来られません。主人公の若者は、宇宙の果てを見てみたいという衝動人かられ、恋人の制止も聞かず、船に乗り込み、宇宙の大海原へ乗り出します。彼の運命はいかに・・・
というお話なのですが、その時漫画の中で使われた、その宇宙計画の名前が、「フダラク計画」というものでした。
はて、フダラクって、どういう意味?と、ずっと気になりながらも調べずにいたのですが、先日、新聞の日曜版の中で、思いがけず答えが見つかりました。
それは、古い仏教の思想の一つで、海の果てにあるとされる浄土を指して、補陀落(ふだらく)と呼んだのでそうなのです。そして、修行僧が生きたまま外から開かない船に乗せられ、海へと流されるという風習があったそうなのです。
なるほどね~。浄土を目指して片道切符で船に乗るのをひきあいに、漫画の中の計画名を「フダラク」とつけたとは。。。
フダラクなんて、何となく意味のありそうな言葉を、どうしてつけたのか、長い間の疑問がやっと解けました。
漫画の主人公は、そのご、いい形で話は進むのですが。。。それにしても生きたまま船に乗せられて沖に出されるなんて、昔はすごい風習もあったものですね。
現代では・・・ないだろうなあ。。。
というお話なのですが、その時漫画の中で使われた、その宇宙計画の名前が、「フダラク計画」というものでした。
はて、フダラクって、どういう意味?と、ずっと気になりながらも調べずにいたのですが、先日、新聞の日曜版の中で、思いがけず答えが見つかりました。
それは、古い仏教の思想の一つで、海の果てにあるとされる浄土を指して、補陀落(ふだらく)と呼んだのでそうなのです。そして、修行僧が生きたまま外から開かない船に乗せられ、海へと流されるという風習があったそうなのです。
なるほどね~。浄土を目指して片道切符で船に乗るのをひきあいに、漫画の中の計画名を「フダラク」とつけたとは。。。
フダラクなんて、何となく意味のありそうな言葉を、どうしてつけたのか、長い間の疑問がやっと解けました。
漫画の主人公は、そのご、いい形で話は進むのですが。。。それにしても生きたまま船に乗せられて沖に出されるなんて、昔はすごい風習もあったものですね。
現代では・・・ないだろうなあ。。。
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