12月7日(木)
秋天や悲喜こもごもの市民展
アイハラさんからLINEが入る。特選だったようだ字が躍っていいた。すぐにおめでとうの返事を返しフォトコン応募を郵便局で済ませて火曜から開催しているはずと出向いたら一週間先だった。あらま、ヤス子さんが後ろから忍び寄って来てこの先出向く画廊へついでだらと乗っけていく。お昼過ぎには戻れたのだった。
PCを開いてネットで検索する。エスさんも特選、ケーさん特選、ワニブチさんトオヤマさん知り合いの目白押しだった。楽々から幾人も入っている。指導がよいのだ。センセイにはありがとうございます。いい新年会が待っている。日曜だろうから1月の月末そのあたり休みを入れておかねば。
開いたついでにヤス子さんの大賞作品を改めて観る。9年たっていた。この時頃アタシは何度運んでも落選していてあとでわかったことだけれどこの9年前のこの大賞作品にひどく感動したことを昨日のごとく覚えている。9年たってまさかこの作者と知り合いになり今日はその作者がアタシの車の助手席にいることになるなんて、まこと人生先のことはわからない。ヒトをのせる車ではないので雑多に置いてある荷物をトランクに移したのだった。
思えばヤス子さんというヒト出向けばいつでもどこにでもいるひとで不思議な人と思っていた。そんな人なので底に居て当たり前の人、今はどこから出現しても驚くことはなくっている。むしろいない方が不思議なくらいだ。
怖い絵 というのをリクエストしておいたらすでに3冊入っているとメールが入る。明日取りに行かねば図書館。
厨房メモ
鶏モモ さつまいも 玉ねぎ こんなものをルールフライパンで蒸し焼きに。さつまいもが焼き芋も状態に仕上がる。子どものころ焼き芋のことは つぼ焼き と称していた。ふっくら寸胴のかめみたいな焼き芋壺に針金で吊るして焼いていた。壺には紙が貼られていた、暖かくて学校の行き帰り焼き芋は買えなかったが壺に触り手を温めていたことなど思い出す。大人の胸ほどの高さの壺だった。燃料はなんだったのだろう。
只今ネットで検索、まだ売っているようたった復刻版、ただしお高い。