5月31日(金)
サザエさん夏の増刊予約せり
ハシモトさんと菖蒲園へ。菖蒲が書けなくてようよう覚える。起きたのもぎりぎり現着もぎりぎり。補聴器は付ける暇が無かった。
花菖蒲の枯れた花をつまみ取るおばさん二人が作業を始めた。これっていいでしょうとハシモトさんに勧めるがシャッターは2.3度切ったきり興味の範疇外のようだった。自分の孫は聞けば出向いて撮っているようだけれどどうやら関心が無いようだった。ま、それもいいでしょう。人生いろいろ人もいろいろ。徹底して花しか興味の対象が無いようだった。それで教えるアタシも教え甲斐はあるのですけれどね。
ゆっくり一人で来てみよう。ツヅキさんがいらした。花菖蒲を挟んで遠く挨拶する。車は買ったのだろうか。
押し入れから出てきたミニコンポを新しく買ったミニコンポのに重ねる。ちょっと大きいのだ。重ねたってどうしようも無いけれど重ねて新しい世界が構築されるという予感もあったのだった。予感というのは大事だ。佐奈川縁を歩いていて前から来る中年のオンナが隠し持った包丁をいきなり振り上げるということだって考えられないことは無い。くたびれるが身を守るには予兆が効くような気がする。
忘れもしない皮膚科の帰りだった。ほどほどの生活道路で前方から2トントラックが来た。なんでこのとき予兆を感じたのだろうか。あのトラックがハンドルを切り損ね真っ正面に来たらどうする。そう思った瞬間本当にトラックは全面に来たのだった。予兆があったものだからアタシは咄嗟にハンドルを左に切った。間一髪、たぶん1センチも無かったろう。アタシは難を逃れトラックはそのまま縁石へと突っ込んで横倒していた。このことをまだ居たマリコに報告したら殆ど関心が無いようではんぶん聞いてなかった。凄くさみしかったことを覚えている。考えてみればこのころからアタシのことなどどうでもよくてよそ事を模索していたのだろうか。
たぶんそうだった。予兆に気付かなかったアタシの唯一の不覚でもある。
身体的打撲は無かったが。
P1000で花菖蒲を撮ってみようか月曜日。距離的状況を撮ってみるには環境が適している。
補聴器はよく聞こえるもののうるさい。歩いていて車の走る音がシャーシャーと苦になる。ただ間隙を縫って鳥の声が聞こえる。これはうれしい。鳥の声が聞こえてたんだ。
厨房メモ
補聴器もそのうち肉体の一部になりそう。そんな。ここまで来るとるまむいいか。ブログの書き込みがヘン構築している順応性が