
4月2日(日)
石巻という町のありけり鬼まつり
一緒に行きたいというようなことを言っていたので電話をしたのだったが出ない。お昼前に再度電話を入れる。結局は言い訳を100も並べてたところで行く気はさらさらないのだった。どうも馬鹿正直でつまらぬ気づかいをして憂き目を感じる。
探したのだ去年の今日のあの子を。いきなり両手を差し伸べて抱っこをせがんできたあの子を。この一年片時も忘れることのなかったというはウソにはなるが時の折に思い出していた。子どもの顔は一年たてばかなり変わる。だけど一緒にいた父の顔はそうは変わらないだろう。父を探したまず若い父を。
ゆな という字はどう表記するのだろうか。るなかと思い5度ほど聞き直した気がする。はっきり丁寧に ゆな と答えてくれた。
靖国神社程広大な神社ではない。豊川稲荷ほどとりとめもなく広い神社ではない。絶対来ているはずだと探したのだ。粉かけでにぎわう人ごみの中粉まみれで騒ぐひとにカメラを向けながら。その子はいくぶん縮小された顔つきで父の隣に立っていた。
三才の記憶が一年そのまま続くものだろうか。その子ははっきりとうなづいてまた両手を差し伸べてきたのだった。恐ろしくうれしい。
幾人ものカメラマンから お孫さん と問われる。胸を張ってアタシの子どもと答えていた。
この子はおなじ幼稚園、保育園と聞いたら幼稚園と答えた。友達にオジサンとと言ってくれた。おじいちゃんではなかった妙にうれしい。来年の今日三度で会うことができたとしてももう抱き上げることは出来まい。これが最後だろうと首にかじりつき両足でずり落ちる体を持ち上げるこの子を抱きかかえていた。
この世には思いもよらぬ具象が構築されることがある。あの時たくさんいたカメラマンの中からなぜこの子はアタシを選んだのだろう。このこ子ほかたくさんいた子どもの中から何故この子にカメラを向けたのだろうあの日。ましてや男の子とばかり思っていたあの日。
少しいえ、十分に幸せな気持ちを抱え二人して餅投げの餅を拾いもう抱き上げることはあるまいと頭を引き寄せ祭りを後にしたのでした。マイフレンド四歳女児。
夕陽が傾きかけていたのでカタクリ山に立ち寄ってみる。イメージは夕日に映えるカタクリの花。現場三遷。
厨房メモ
四歳児、ずっしりと重い15キロくらいはあるのだろうか。これが少しも重くなかった。ありがとう湯女ちゃん。数あるゆなから湯女を選択してみたのだった。暖かかったもの、齧りつく両手もしがみつく両脚も体も。ましてや顔も長い髪の毛も、
今日の一枚。
ついに子をなせなかったわたしには、心に食い込むお話でした。