稚内市開基百年記念塔・北方記念館。稚内市ヤムワッカナイ。
2022年6月18日(土)。
稚内港の北防波堤ドームと巡視船を見学したのち、南方の丘の上にある稚内市開基百年記念塔・北方記念館に向かった。
稚内市開基百年記念塔は高さが80mで塔の展望室は海抜240mの地点にある。エレベーターで昇った展望室からは、天候に恵まれれば利尻島や樺太も見えるというが、生憎の曇天であった。
フェリーが入ってきた。
樺太(サハリン)方向。
さきほど見学した北防波堤ドームと巡視船「りしり」「もとうら」。
稚内港の防波堤ドームと巡視船を眺めていると、ちょうどフェリーが入港している場面に出会った。時刻表からすると、利尻からの便のようだ。防波堤に沿って港内に入り、回転して船尾から接岸するまでを見届けた。
稚内市街地方向。
その後、1階まで降りて北方記念館を見学すると、現在は内部が空洞である北防波堤ドームの一部が、稚内桟橋駅であり、その陸側に稚内港駅が存在していたことを知った。
1990年代後半に利尻山を登頂したときに、同行したM君と夜行寝台急行の「利尻」に札幌駅から乗車して稚内駅にやってきた。
「利尻」は道北向けの代表的夜行列車で、札幌から宗谷本線を経由して日本最北端の地、稚内を結んでいた。
1958年10月1日、札幌駅 - 稚内駅間の夜行準急列車として運行を開始し、1966年3月5日に急行列車となった。1982年11月15日からは座席車に14系500番台客車が投入され、1983年4月25日から寝台車も14系に置き換えられた。
1991年3月16日からは、「宗谷」と共通のキハ400形・キハ480形気動車に14系寝台客車を併結する編成を初めて投入した。
2000年3月11日の宗谷本線高速化竣工に伴うダイヤ改正では、特急列車化され、座席車を「サロベツ」と共通のキハ183系に変更したが、引き続き14系寝台車を混結していた。
2006年3月のダイヤ改正では臨時列車化され、同年6月から夏季に特急「はなたび利尻」として運転されるようになったが、なおも利用が減少傾向にあることから、2008年4月にJR北海道が廃止を発表し、事実上2007年(平成19年)9月30日の運行を最後に廃止された。
ヘッドマークは急行時代から、海上に浮かぶ利尻島(利尻山)を描いたものを使用していた。
稚泊連絡船(ちはくれんらくせん)は、1923年から1945年まで、日本の鉄道省により北海道の稚内と樺太の大泊の間で運航されていた航路(鉄道連絡船)である。
航路概要。稚内 - 大泊間:167.0 km(営業キロ:210.0 km)
所要時間:8時間(1928年、1934年12月当時)
運賃:1928年に一等7円50銭、二等5円、三等2円50銭。
宗谷海峡は冬になると流氷で閉ざされるため、就航船には砕氷船が使用された。厳冬期の大泊では氷上で旅客・貨物の取り扱いをすることもあった。
鉄道連絡船の性格上、宗谷本線の優等列車と接続するダイヤを組み、1938年からは稚内側では列車が船に横付けできるよう、稚内駅構内扱いに稚内桟橋駅という仮乗降場が設けられていた。また大泊側も桟橋上に大泊港駅が設けられ、樺太東線と接続していた。なお、稚内から樺太への定期航路は稚泊連絡船の他に北日本汽船経営の稚斗航路(稚内 - 本斗間)があり、こちらは樺太西線と接続していた。