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山形県長井市 小桜館(旧西置賜郡役所) 旧長井小学校第一校舎

2025年02月09日 07時44分47秒 | 山形県

小桜館(旧西置賜郡役所)。長井市指定有形文化財。山形県長井市高野町。

2024年9月15日(日)。

 

南陽市の国史跡・稲荷森古墳を見学後、北西に向かい、降りしきる雨の中、文教の杜の一角にある小桜館に着いた。

旧西置賜郡役所は、現在の長井市・白鷹町・飯豊町などの西置賜郡を取りまとめる役所として、1878(明治11)年11月に初代山形県令三島通庸の命により建てられた。

様式は、欧米の建築構法を取り入れながら日本の棟梁が作った「擬洋風」造りである。

山形県には郡役所が11棟建てられたが、現在残っている6棟のなかでは山形県で最古、全国でも福島県郡山市の開成館(旧安積郡役所)に次いで2番目に古い。

旧西置賜郡役所の現状は、木造一部2階建。1、2階とも寄棟造、トタン葺。1階桁行15間、梁間4.5間、建築面積69.6坪。

外装の壁は全面ペンキ塗りのイギリス式下見板張り。1、2階とも隅に隅柱。軒周りには歯飾りとよばれる直方体の装飾部材である「ディンティル」、軒蛇腹。基礎は外周に布石基礎2段積み、床下は野面石に束立とし、基礎の上に土台。壁は大壁造。小屋組は1、2階とも真束小屋組。

玄関周りは、石製ベースの上に大面取り角柱。窓は額縁付で、一ヵ所のみ上げ下げ窓が残っていた。バルコニーのついた神社のような玄関ポーチ左方に庇付きの出入り口があり、庇の持ち送りに社寺風の意匠が取り入れられている。

庇の持ち送りに社寺風の意匠が取り込まれている。

内装は、床板張(斜め張り)。幅木。漆喰塗りの天井蛇腹。天井の一部に紙張りの跡が残り、紙張り天井であった。壁は、木摺(す)り下地漆喰塗壁。

2階正面中央の開口部にファンライト(扇形の窓)の色ガラス

明治初頭、現在の山形県はには山形・置賜・酒田の各県が置かれた。また、各県には大区・小区が置かれ、置賜県には六つの大区と28の小区が配された。その後明治9年8月、置賜県は山形県として合併、このとき大区・小区も再編された。現在の長井市の大部分が該当する第九大区小十区に区役所を設けることになったが、その建設費は、ほとんどを地元が拠出するというものであったため、建設位置を含めて各村の思惑が絡み合い、着工までには数年の時間を要することになった。

明治11年7月、郡区町村編成法が発布されると、この長井市付近一帯は西置賜郡に合併され、郡として役所を建設することとなった。そのため、この段階まで着工していなかった第九大区小十区役所建設を郡役所建設に振り替えることとし、明治11年11月、県内の郡役所としては最も早く、西置賜郡役所が、かつて小桜城があったとされる高台で水はけが良い町の中心地に建てられた。建築費用3千5百円は西置賜郡46ヵ村で調達した。

その後、明治22年4月施行の町村制を経て、大正12年4月の郡制廃止まで、隣接する郡会議事堂(明治22年新築、明治44年10月改築)とともに、西置賜郡の行政の中心となった。

郡制廃止後は大正12年4月に長井土木出張所がおかれた。昭和17年から西置賜地方事務所となり昭和57年まで使用されていた。昭和57年以降は建設省東北地方建設局長井ダム工事事務所や民俗資料等収蔵施設倉庫となったが、平成に入ると歴史的建造物の利活用が求められる時代となり、周辺環境とともに復元工事が行われ、市民の公募により「小桜館」と名を改めて2010年から市民の文化・芸術の場として利用されている。

2003年より翌年にかけて改修工事を実施した際、正面広場の土壌から、当時(明治11年頃)施工されたと思われる石畳が発見されたが、石畳は地下に埋め戻された。

旧長井小学校第一校舎。国登録有形文化財。長井市ままの上。

小桜館から道の駅「長井」の方向へ向かうと、長井市役所に隣接して旧長井小学校第一校舎がある。

切妻造桟瓦葺で、幅 92.82m(東西方向)、奥行 10.92m(南北方向)とする東西に長い木造総2階建の学校建築。切妻造妻入の正面玄関を中心とする左右対称の外観とし、階段など内部の造作もよく残す。

昭和8年(1933年)建築で、鮮やかな赤味の外壁建物中央にある大階段舟底天井の長い廊下が特徴的である。大規模な木造校舎は全国的にも珍しく貴重な歴史的建造物である。

2015年(平成27年)まで現役の校舎として活躍したのち、耐震工事を兼ねたリノベーションを行い、2019年「学び」と「交流」の拠点としてオープンした。

中央階段

舟底天井の長い廊下

このあと南へ向かい。川西町の下小松古墳群と天神森古墳を見学しようとしたが、前者は雨とクマのために、後者は位置が分からず見学できなかった。

暗くなりかけたので、道の駅「米沢」へ向かった。翌日は、米沢市の滑川温泉と姥湯温泉入湯である。

山形県南陽市 国史跡・稲荷森古墳 山形県最大 日本海側内陸部最北



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