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山形県高畠町 阿久津八幡神社と三重塔

2024年09月28日 11時16分42秒 | 山形県

阿久津八幡神社と三重塔。山形県東置賜郡高畠町安久津。

2024年9月6日(金)。

山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館を16時30分に出て、東に隣接する阿久津八幡神社を見学した。広い駐車場の東にある鳥居から入ろうとしたが、道が狭かったので、広い駐車場へ戻って狭い入口から駐車場へ入った。道の駅「たかはた」は道路の反対側にあるので、時間は気にせずに見学できる。

一帯は「まほろば古の里歴史公園」として整備され、その象徴である阿久津八幡の三重塔は町のシンボルにもなっている。阿久津八幡の東隣には高畠町郷土資料館もあるが、9時30分から16時30分までなので翌日見学した。

田園風景の中に三重塔がそびえる風景は、10年ほど前に岡山県総社市の「吉備路風土記の丘」で備中国分寺五重塔を眺めた感触に似ている。このあたりは、夕方や朝方に犬を連れて散歩する女性が多い。

安久津八幡神社は、貞観2年(860年)、慈覚大師円仁が豪族、安久津磐三郎の協力で阿弥陀堂を建て

金蔵院として信仰を集めた。永承六年(1051)源義家が安倍一族討伐の命を受け二井宿峠を越えて当山に入り戦勝を祈願し大勝利を得た(前九年の役)。寛治元年(1087)再度金蔵院に立ち寄り戦勝を祈願し大勝利を得た(後三年の役)。そこで鎌倉の由比郷より八幡神を分霊してお祀りしたのが安久津八幡神社の起こりと言い伝えられている。

源氏の氏神八幡神に甲冑や刀を奉納、別当神宮寺・学頭金蔵院・衆徒頭千殊院はじめ十二坊を置き、神官社家三十余人を配し、神仏両部の祭典儀式が定められていた。以後、長井・伊達・蒲生・上杉と歴代領主により保護され、社殿の造営や社領等の寄進が行なわれてきた。

鎌倉時代から室町時代にかけて院や坊の最盛期修行僧の能海・堪忍等の写経筆跡が神奈川県「金沢文庫」に残っている。

伊達氏の尊崇特に篤く広大な社領を寄進される。「独眼竜政宗」は重臣「片倉小十郎」をもって総裁に任じ神務までも司り、隆盛を極めた。伊達氏に変わり蒲生氏が領主になると社領は没収され、社頭は衰運するが祭祀は継続された。

文禄三年(1594)より上杉家の領地となり寛文四年(1664)に天領となる。寛文十三年(1670)に社領五十石を賜り明治三年(1870)まで続く。元和元年(1615)拝殿火災、元和三年(1617)拝殿再建、元和五年(1619)本殿焼失、寛永七年(1630)本殿再建、元文二年(1737)・寛保三年(1743)火災により旧記・宝物等焼失。宝暦五年(1755)大飢饉の中現在の社殿が再建された

生い茂る樹木に囲まれ苔むす石畳参道の入口左手に、端麗な姿の三重塔参道途中に舞楽殿、その奥に本殿がある。この三建造物は県の指定文化財となっている。境内には、鐘つき堂・流鏑馬的場跡などがあり、裏山一帯には、安久津古墳群(鳥居町支郡)十数基が点在している。そのほか奥の院の洞窟などがあり片葉の葦、爺婆石、弘法清水などの伝説も残っている。

翌朝にも見学したが、本殿東側を眺めるための通り道には熊の新しい踏み跡が付いていた。

三重塔は寛政9年(1797年)に再建されたもので、初建は、寛永2年(1625年)といわれている。方三間造で銅版葺き、置賜地方唯一の層塔である。

 舞楽殿は、軒組や柱の形状から、室町末期のものといわれ、方一間宝形造、茅葺きである。西側に小さな下屋があり、屋頂に石造の露盤と宝珠が置かれる三方吹き抜けの『舞台』で、参道を塞ぐように建っている。たびたびの修理で後世の手が入っているが、古材の頭貫(かしらぬき)・木鼻の絵様に、室町時代末期の特徴がみられる。軸部は、円柱を頭貫・内法貫・足固貫で固めてある。床板張である。三方に高欄付の縁を巡らしている。軒は1軒疎垂木である。

毎年5月3日には、倭舞(やまとまい)、9月15日には延年の舞が気品高く、古式豊かに舞われる。

延年は平安時代中期から室町時代にかけて、寺院において、寺僧により催された芸能である。演ずる芸能は開口、僉議(せんぎ)、稚児による舞楽・白拍子・乱拍子などの歌舞、風流などの劇芸能である。

安久津延年は置賜地方の古社安久津八幡神社の神事として、舞師大地権太夫家の管理のもと、古くからの伝統を守り、例大祭である9月15日に同神社舞楽殿で舞い続けられている。現在、振鉾式、三射舞、拝ミ舞、太平楽、眺望楽、蛇取舞、姥舞の7曲目が舞われている。

阿久津八幡神社拝殿。

阿久津八幡神社本殿は、桁行三間、梁間二間の三間社流造、茅葺(もとは杮(こけら)葺)である。

軸部は円柱に頭貫(かしらぬき)・内法長押(うちのりなげし)・切目長押をつけている。正面3間は板扉で、他は板壁である。三方に高欄付の縁を巡らし、脇障子をつけている。正面の扉には、16弁の菊花と五七の桐の彫刻がある。組物は和様出三斗、中備に蟇股(かえるまた)を配している。軒組は和様出三斗、屋根が半円形に張り出す特異な形状をしており、棟の両端に鬼面板をあげるなどその手法が優れている。

棟札によると、宝暦3年(1753年)に建てられ、同5年(1755年)遷宮したことが知られている。

拝殿から参道下方向。舞楽殿。

鳥居と三重塔。

阿久津八幡神社と三重塔。道の駅「たかはた」から。

2024年9月7日(土)。

高畠町郷土資料館は9時30分開館なので、その前に阿久津八幡、旧高畠駅、羽山古墳を見学することにした。道の駅「たかはた」の向かい側は阿久津八幡と三重塔で、犬の散歩の女性が歩いている。

本殿の東横を眺めてみた。

 

このあと、高畠市街地へ向かい旧高畠駅を見学した。

山形県高畠町 山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館③置賜地域の弥生・古墳時代 稲荷森古墳・天神森古墳・下小松古墳群



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