もとポッポやの写真とつぶやき

うつ病と闘うカメラマン。現在過去撮影した鉄道写真を中心にその他写真をアップしています。

JRにいた10年①

2015-06-26 10:01:13 | 鉄道写真(秋田内陸線)


撮影、前田南~小渕間、2008.5.6

昨日のテレビ朝日の「Jチャンネル」から一言。わかやま電鉄貴志川線のたまスーパー社長の逝去?の報道で、JRからの廃線を受け継いだ・・・とナレーション!はあいくらなんでもそれはないでしょ。元々「南海電鉄貴志川線」を受け継いだのに、何で確認しないのか?プロでしょうが頑張った地元住民の方々に失礼でしょうが!今の日本適当

さて、前置きはこのぐらいにして、さっそく、私がJRで過ごした10年間を綴っていきます。今日は1回目。
1.1994年4月1日入社

入社式は、当時、大宮のソニックシティ―。さすがに高卒と合わせるものだから、1000人強!多さにびっくりしたものです。(田舎者なので)社長は、未だ尊敬する松田昌士氏。(北海道大学出身)司会進行は先輩方。時代は変わったものだと思いました。
入社式の後は、高卒は別行動。大卒である私たちは「大宮の研修センター」(現研究開発センター)にて昼食の後自分たちの足で旧本社(東京駅丸の内口前)へ移動。そこで、短い役員の講義と、「社長との懇親会」!(革新的と思った)

2日目から2週間、大宮の研修センター にて、当然のことながら鉄道の基礎から机上講義やら面接など2分間隔のダイヤで缶詰状態!(無理に2分間隔にしなくても、5分前行動だけでいいと思ったが)この時思ったが、専門に分かれて講義を受けたが、講師が、マニア(嫌な呼称)の私よりわからなくてどうするたかだか115系電車の抵抗制御で説明しきれなくてどうする?鉄道総研の講師でも良かったのでは…。
それに、長時間の受け身の講義は無駄ですね。ほとんど寝てました。私も落ち、目をつけられたものです
最後の極めつけは、箱根の山の中まで行って各班に分かれてロールプレイリングもどきの事をさせられ終了!

15日目からは各支社に研修の旅となり、秋田支社や千葉支社は馬鹿にされたものです。秋田は、「一番の田舎」、千葉は、「国鉄動力車組合員の巣窟」(当時国鉄改革に一番反対しておりまだ活動が激しかった)で危ない。
かくして、当時の人事部の方針で出身大学や出身地に近い場所に配属される(余計なお世話だと思うが)ことになっており、なぜか私は秋田へ。(学校は青森県)いいのか悪いのか…。しかし、この配属が吉と出たか凶と出たかは未だよく解らない…。

秋田支社での研修は、駅業務に始まり、車掌、運転士見習、運転所、工場、設備関係(やたら長い)、びゅうプラザや支社研修を行い、最後は業務研究論文発表会を行い、大宮の研修センターにて数日間研修され、11月に各地へ。一番行きたくなかった南秋田運転所(現秋田車両センター)に本配属になりました研修は長すぎると思いました。高校卒業後一旦就職した身にとっては…。以下次回へと続く。