今年は冷夏という予想が出ているのですが、昨日は当地では約27℃!県北の知人によるとなんと29℃季節が先走っています・・・。熱中症が怖い
さて、そんなこんなで5月ももう終わり。結局水鏡や新緑も撮影できず・・・(場所を探せば間に合うか?)
ということで、列車は絡んでいませんが、水鏡にクロスフィルターを付けて遊んでみました。
来月は撮影行けるかなあ…。
昨日は結局こちらでも28℃近くあったものの、部屋の中は涼しい・・・と思ったのもつかぬ間夕方が暑かったです。今朝は頭痛と寒気が…。
昨日撮影に行こうと、家から山の緑を、PLを使ったりして試し撮りしましたが色が出ないので諦めてしまいました。
ところで、先日高円宮家の次女女王さまが出雲大社の禰宜(ねぎ)の方と婚約されました。昔まで遡ると先祖は兄弟だったとか結ばれるべくして21世紀に一緒になるなんておとぎ話のようでロマンチックですねでも、皇族の方々の中でも意外とハキハキしていながらも気品がある方ではないかと好感が持てました。羨ましいなあ…。私はいつまでも一人でいろと天から言われているような今日この頃・・・うーん。
さて、たまにはのバスネタ。
(撮影、十和田南駅、2014.4.24、十和田タクシー三菱エアロミディ)
先月、三陸の旅の帰り110系を撮影に寄った花輪線十和田南駅。
1935年8月に国鉄バス十和田南営業所として開設され、以来、2003年3月31日までJRバスとして活躍した。
幼少のころから、良く国鉄バスを秋田県鹿角市十和田毛馬内町まで利用したもので、愛着があった。
国鉄時代は、夏に必ず新車が配置され、貸切仕様車も各駅停車に運用され、これに当たると喜んだものだ。
当時、新車は、青森、十和田南、長野原などなど観光地に配置され、シーズンオフになると彼の地へ帰っていくのだ。
それから時を経て十和田タクシーに代替され、最盛期には大湯温泉・十和田湖まで24.5往復あったが、今は約6往復が発着するのみ。しかも大湯四ノ岱・中滝までしか走らない。
この日は、大館行の列車から乗り継いだお客様は2人だった。あの昔の賑わいが懐かしすぎる…。
※国鉄時代の記事
今日撮影に出かけようと思いましたが、日曜日に最高気温が18℃で今日は25℃の予定。(今でも暑いが)それでなくても虚弱体質?なので、調子が悪いですそれと母親譲りの気まぐれが出たよう…。
さて、昨日のテレビや今日の朝刊に「旧小坂鉄道小坂駅構内に待望のレールパークが6月1日にオープン」することが発表されました。小坂鉄道は中学生から馴染み(祖父が旧小坂鉱山病院にいたので)があり、乗り鉄&撮り鉄は高校生から始め、本格的に通い始めたのは1994年からでした。ですので、旅客営業時代も知っています。
余談ですが1999年に行われた、小坂鉄道開業90周年のフォトコンで小坂町教育長賞を頂きました。(多分郷土資料館にあるはず…)
できれば、茂内駅まで範囲が広かったらよかったのですが、悲しいかなそこは大館市なのでした…。(行政は横のつながりが悪いですね)とりあえず、小坂百年通りの前(旧古舘)まで、DD130を運転できるというのは嬉しいですが!キハ2100も復活できたらよいのですが・・・。(私なら修繕できるけど)
ただ、重箱の隅を突っつくようでなんですが、読売新聞のDD130の性能記事がちょっと3万CCまではいいけど、過給器はターボチャージャーの方がわかりやすいし、馬力は500PSではなく500×2です!(正式にはDMF31SB×2)
(撮影、旧篭谷~茂内間、2007年、午後の大館行き)
ようやく忙しかった日々が昨日の夕方をもって終わり、やっと新緑の撮影をしようかと思いましたが、+若干の風邪と疲れ?で明日に順延ライブカメラで観たところはやや晴といったところでしたが、「焦るこじきは貰いが少ない」ということで・・・。
さて、秋田では嬉しい話題が。バスケットのノーザンハピネッツが東地区優勝、日本2位という快挙を達成しましたやっぱ、楽天じゃないけど、サポーターが強力でしかも、ヘッドコーチの中村さんの指導が良かったからだと思います。(無論選手達もバッチリでした)しかし、経営陣がこの先10年以上先を見据えた時、中村さんでは若者が育たないということで契約を終えてしまいました。
でも、今の高齢者は強いですよ(うちの母と同じですが)考えていることは理解できますが、元楽天の野村さんのような例もありますし、むしろ、「先人の教えで後継者を育てていく」べきではないかと思います。だから、ゼネラルマネージャーとかにつかせてもいいのではないかと思うのですが・・・。今各界で問題になっている技術継承。できる高齢者は使うべきと個人的には思うのですが・・・。
写真は、季節的には遅すぎますが過去ネタですみません。
(撮影、沢尻~十二所間、RVP100)
この頃は、国鉄色にこだわることなく、写真集を出そうと5年ほど花輪線に通っていた。
幼少のころから通い続けた花輪線だったので、季節の移ろいは記憶していたのでそれをもとに撮影していた。
当時は、順調か遅めの桜開花だったように思う。現地に行ったらちょうど満開!
しかも列車を待っていたら、運良く国鉄色58が先頭だった。手前のレンギョウ遠くの桜でザ・春という画になった。
ただ、次の年と、110系になった現在は満開に逢ったことが無い…。
ここ数日忙しくて(?)、撮影はおろか(自宅からは田植えなど撮影していた)、友人に依頼された件で時間に追われていました…。お蔭で更新がおろそかになってしまいました…。
ということで、東日本大震災で孤児になってしまった子供たちのためのチャリティー募金を目的に青空市場に参加してきました。先月私自身も被災地を訪れており、地元の方々と話をしたり撮影したりして来て、何かできないかと考えておりました。実際には現地に行ってお話を伺い、現地にてお金を使う(買い物するなど)ことが一番の助けになると私は思っているのですが。
それで、今回青空市への参加となりました。私は写真を販売し(約20枚ほど売れました)、母はパッチワーク小物を販売しました。(なんと母の売り上げが多かったです)売上の約60%を寄付に充てました。もう少し売れればよかったのですが
次回も機会があれば参加したいと思います!
さて、先日、いつものようにポストをのぞくと・・・厚い封筒が!なんと、鉄道ピクトリアルに写真が掲載されていました予期していなかったものだからびっくり!これが続くとよいのですが…。
今日は今にも雨が降って来そうな天気。強風は去りましたが。友人のAさんからの情報では、彼の地は無風で、少し日が出ていて、水鏡が撮影できたと連絡が来ました。しかし、そこへ真夜中から行ってスタンバイしたとしてもその時になってみないとわかりません!もはや博打状態うーむ。
さて、昨日鉄道ジャーナルの2013年10月号を読んでいて気付いたこと。公営バスの廃止や民間バスの赤字対策など。公共交通機関が疲弊している現代、やり方次第で便利になるというもので、いくつかの地方都市の取り組みが紹介されていました。いろいろ様々ですが、公営が廃止して民間委託したついでに、1つの拠点からオンデマンドバスや、市町村営バスを走らせ、住民の意見を取り入れながら改善していくというもの。いろいろな形があるものの、逆に料金を一律にしたり、枝線を増やしたりなど、官民一体で地元バス会社や住民と街づくりを考えながら行っているというのが、主な趣旨。
これを地元秋田市に照らし合わせてみた。秋田市の場合は、市営バスを廃止し秋田中央交通に譲渡。その後、路線廃止が思ったより進んでしまった。そこで、マイタウンバスで子会社に委託したり、オンデマンドバスにしたり…。当初、第三セクターでとの話でしたが、中央交通社長から「街の規模を考えれば、共倒れになるから完全移譲が望ましい」と提案され現在に至ります。
しかし、本線系統の接続の悪さや予約制では存在すら意義を考えてしまいます。私の近辺にはJA厚生病院を起点にオンデマンドバスがありますが、基本予約が無いと運行されません!これでは緊急時に使うことはできません!おまけに、本線系統と呼ばれる路線も本数が多いわけではありません。どこか利用者を無視しているような…。市でも、オンデマンドは、地元タクシー会社に丸投げ。
むしろ、ここで、市営のコミニュティーバスを作るべきではないかと思います。あとは、本線系統の拠点、病院の方がいいのはわかっていますが、思い切って、約2㎞中心よりのショッピングモールにしてしまった方が良いと思います。この間を走るバスはあるが停留所はなしで時間1本。そうなると車の無い人や交通弱者は不便!市、バス会社、住民で積極的に話し合いを持って改善すべきと思います。(詳しくは、鉄道ジャーナル参照)
(撮影、秋田県大館市、秋北バス、2003.5)
昨日の午後から今まで強風です。(8m/s)列車ダイヤは今のところ正常らしい。しかし、田んぼはまるで海のよう…。
今日とのことだったので、課題の水鏡を撮影・・・のつもりが中止です
水鏡を撮影するには条件があって、1.無風状態2.早朝か夕方3.曇りか晴れ。まあ、無風状態かまたは微風でないと全く駄目です。結果的には、運任せということでしょうか?まあ、田植え直後までは撮影できますが、今年はどうなることやら…。
で、写真は古いですが以前のものを。
余談ですが、昨日買い物ついでに〇まむらに寄り道しましたが、最近、「スカートが少ない」!私の理想はやっぱロンブー淳と同じで「スカート女子」かわいいけどなあ…。意外にも、ショートパンツやレギンスが多く、私でも履けそうなサイズ・・・痩せすぎかあ
(撮影、羽後飯塚~大久保間、2009.5.15)
この時すでに8時を回っていた。本来水鏡になるのはせいぜい7時台で終わり。
たまたま、2008Mいなほ8号(T18編成)を待っていた時で、試し撮りをしたら期待が持てそうであった。
だが、そうは問屋は卸さず、いなほが来た時には残念ながら波が立ってしまって姿は映らず…。
別に期待したわけではないが、たまたま場所が悪かっただけ。(連絡がぎりぎりに来たので近場で)
果たして、今年は課題達成はできるのであろうか?
※以前成功した写真は前の記事でアップしてあります。http://blog.goo.ne.jp/diesei58tece3/e/ca7d05cf89d9674fe140047a3287d2a5
昨日ついにJR北海道江差線木古内~江差間が廃止になりました。
江差線に足を運んだのは、1988年3月19日。ちょうど青函トンネル(津軽海峡線)が開業した時に、寄り道をしました。
あの当時でも、「気動車1両分でちょうどぴったり乗客」を運べていました。それから26年が経ち状況は変わっていきました。青函トンネル開業と同時に、江差線、津軽線の末端部は廃止になるのではと噂されていました。
それを、除外したとしても、新幹線の開業と引き換えに経営分離(第3セクター、バス化)するという方法…納得いきません。住民の足を将来的に守れないようで新幹線が走るというのは、国鉄末期の考え方と変わらないようにも思います。しかし、江差線にとってみれば、旧松前線のように函館直通快速便ができて逆に便利になる?こともありますが…(料金は高いでしょうけど)
昨日の読売新聞での記事では、国土交通省が整備新幹線の開業前倒しを決めたようですが、これではJRの経営や沿線住民を無視した国鉄方式となんら変わらにというのは私だけでしょうか?
今の時代、新幹線で北海道へ行くという需要がどれだけか?また、北陸新幹線も開業すれば、日帰りが多くなり長野のように宿泊客が少なくなるという問題もあり、北越急行線の経営も?本当にこれでいいのでしょうか?公共交通のあり方を再考する時期に来ているのではないでしょうか?
月曜の朝から長々とすみません。当時の写真を。
今朝4時半頃腰に痛みを覚え、湿布を貼りました職業病というか、以前から数か月に1回くらいの割合で襲ってきます。
さて、今日は撮影に行く予定を立てていましたが、体調不良につき延期…。どうもこの気温の大幅な変化についていけないようです…。それにしても昔は普通に段々と気温が変化していくのに、前日との差が±10度以上もあるのは異常ですね
ということで、先日ネガフィルムの褪色修正で見つけた写真を掲載します。
(撮影、秋田駅、1987.9)
ちょうど、JRになって少し落ち着いた時。祖母の葬式の出席するために、復活した急行よねしろに乗車することに。
国鉄時代には、運行経路の変更や愛称が消えたり復活したりした急行よねしろ号。
復活したことは嬉しかったが、旧山形機関区から車両を持ってきたので、とっても古いキハ58系だった。
しかも、新型エンジンの現車試験にも使われていて、少々違和感があった。
だが、この車がリニューアルを受け21世紀まで活躍すると思わなかった。そして、自分がこの車両をお守するなんて…。
人生も鉄道も死ぬまでわからないものだ!ただ、撮影時自分が写ってしまったのは…である。復活しないかなあ。
ここ最近、世界が大変なことになっていますね。特に北アフリカ、ウクライナ、中国や韓国など。ついに平和が崩れてしまうのでしょうか?(日本も大変であるが)
しかし、韓国の企業体質のついては呆れてものも言えませんいくら「儒教(わからない人は世界史を調べてね)の国とはいえ、年上の言うことが絶対でも、悪いことまで言うことを聞く」べきなのでしょうか? 学生の頃まではあんなに真面目なのに、なんで社会人になると、汚職とか偽装とか…いろいろ悪さするのか???です。不思議な国ですねえ
さて、そろそろ新緑と水鏡が進み始めました。近場ですけど来週あたり撮影に出ようかな?これから、母と私の通院です
(撮影、平津戸駅、2009.5.13)
お立ち台の松草~平津戸間の撮影をした後、平津戸駅付近の景色が良くて、昼食後来てみた。
当然のことながら、山田線は本数が少ない。駅の先の鉄橋も考えたが、駅の桜に惹かれてしまった。
快速なので、一発勝負!かなり連写し続けたようだ。
駅でのアップも良かったが、去りゆく姿も良かったので、こちらの方がお気に入りである。
そんな山田線の列車を待つ間に、岩手県北106急行バスが頻繁に走っていたのには皮肉に見えた…。
余談だが、駅ノートを見ると、ある女性がバスで気分が悪くなり下車したとあった。その後どう移動したのだろうか?