今朝起きたら、一面銀世界でした。もう啓蟄過ぎているのにまだまだ春は来ないのでしょうか?
さて、今週はついにというかもうかという感覚で小坂鉄道の硫酸輸送が終了してしまいました。去年報道されていたので覚悟はしてましたが、お彼岸の頃最後に撮影をと考えていただけにショックでした。今後はトラック輸送などを検討したうえで休止→廃止と手続きするらしいです。個人的には不定期でも運行してくれればと思うのですが。まあかなり撮影していたとはいえあと数箇所はと思っていたので心残りです。今日の写真はそんな小坂鉄道です。
小さな体を精一杯震わせて山を登ってきた三重連。
峠越えまであともう少し、しかし、足並みは着実だ。
日が傾きかけた夕方、重荷を背負って場内信号を通過していく。
いつもと同じ時間いつも通った道。
(共にネガ400で撮影、2003.4)
今日は高校入試の日です。天気が悪くてあまり良くない日ですが実力を十分発揮して頑張って欲しいものです。私はもう忘却の彼方ですが、当時良く晴れていて行きは緊張帰りは笑顔だったことだけは覚えています。
さて、日曜日あまりにもいい天気だったので大仙市中仙の白鳥飛来地に行って来ました。2年ぶりでしたが若干白鳥の数が減っていいるような感じがしました。それでも餌をあげる人、写真を撮る人などそれなりに人はいました。私はこまちと白鳥が撮影できるのでお気に入りの場所です。機会があったら行ってみてはどうでしょう?
こまちから白鳥が見られる唯一の場所。
新幹線と白鳥の組み合わせはちょっと考えられないのだが。
こまちが来た時うまく白鳥がおさまってくれてよかった。
こまちの乗客もこの親子のように楽しんでいるだろうか?
こちらは白鳥羽ばたきのベスト?ショット
(共にE-510で撮影、鶯野~角館間、2008.3.2)
逃げるの2月があっという間に去って、3月を迎えました。明日はひな祭りです。
さて、ダイヤ改正も目の前に来てしまいました。そこでよねしろ車のキハ58-23について少し書いてみます。
コレは現在の姿。
しかし、この車の履歴の凄いこと!簡単に紹介します。
生まれは1961.6。松本機関区(長野県)に配置、その後苗穂機関区(北海道)に転属、そして青森運転所(青森県)に転属。
それから新潟を経て美濃太田(岐阜県)へ転属。
次に千葉気動車区(千葉県)に転属、そして高松運転区(香川県)に転属。
その後また千葉気動車区を経て高松運転区に転属。
その後またまた千葉気動車区へ経て、大分機関区(大分県)へ転属。
そして、長崎を経て小牛田機関区(宮城県)、山形機関区(山形県)、弘前機関区(青森県)、山形機関区へ転属。
そしてついに1986年に急行よねしろが復活することになり、南秋田運転所(秋田県)に連れて来られ更新工事を受けて現在に至ります。結局北海道、本州、四国、九州全島に足跡を残すという凄い車両となったのです。私は、更新前に乗車したことがありますがこんな古い車には初めてでした。若番の後輩達が次々廃車される中冷房が付いていたことが幸いだったのでしょう。でも車齢47年は減価償却どころの話ではありませんね。イベントにはいいだろうけど毎日使用は個人的には限界ではないかと思いますが、お疲れさんといってお休みさせてあげたいですね。
これが1988年当時の原型です。この頃秋田支店(当時)の気動車にはマスコット「アッキー君」が貼られていました。