原爆のことはもう忘れましたよ 2009年08月05日 23時34分03秒 | memory 『原爆のことはもう忘れましたよ』 原爆孤老が言わざるを得ない ひとこと です。 ローカル放送ですが 【原爆孤老~ヒロシマ・64年後の現実~】という番組のなかでの ひとこと でした。 さまざまな偏見にあって 孤独に生きている 年老いた人たちは 2万人とも « 合成画像用に | トップ | 長崎・原爆 »
7 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 風化させずに… (凧男) 2009-08-06 05:34:52 私も実際に広島に行って原爆資料館を見たときの衝撃は忘れられません。しかし最近のアメリカの世論調査では「原爆投下は正しかった…」が6割以上だったとか…。救いは年齢が若い人ほど「原爆投下は間違いだった…」が多いことです。オバマ大統領が訪日したらぜひ広島に来て「原爆投下は間違いだった…」と言ってほしいものです。 返信する 原爆のことはもう忘れましたよ (鳶凧) 2009-08-06 16:59:30 原爆を受けた被災者の心張り裂ける訴えの言葉と思います。今更、訴え続けても元に戻らない現実とさまざまな偏見にこれからも耐え生き続けなければならない苦悩を周囲は理解し、愛の手をさしのべてほしい思いで一杯です。終戦の年に生まれた私にとって人事とは思えない思いで一杯です。 返信する コメントありがとうございます (主) 2009-08-07 20:33:20 「原爆投下は間違いだった…」ことは 時間の経過とともに 未来において 常識となるでしょう。被爆していないものが 被爆された方の苦悩を理解することは 非常に難しいと思います。いざ 結婚となった時には なかったことにするのではないでしょうか。昨日の夕方に榮橋の下流 遠候川と京橋川に別れるところの流れに 一匹の鯉がゆったりと泳いでいました。http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/c5/3407af9affb2e5f83bc1ed86221d9fc5.jpgわたしには 被爆された方の生まれ変わりではないかと 思えました。 返信する ありがとうございます。 (鳶凧) 2009-08-08 10:47:04 "わたしには 被爆された方の生まれ変わりではないかと 思えました。" のコメント嬉しく思います。確かに同じ立場にない人がその苦しみを理解するのは難しいかも知れませんが自分が逆の立場になった時どの様な思いであるかの”思いやり”の心だけは持っててほしいと思います。 返信する 式典に行ったのですね! (bero) 2009-08-08 20:49:11 こんなところに鮎が・・よく見つけましたね。私は3才、妹が1才、、夏だから家の前の庭に母、父、祖母達と出ていたような・・その後、何日経っていたかわからないのですが、親戚の人が来て、母屋と納屋の間の土間に寝ていたような・・怖かったようなことをぼんやりと覚えています、現平和公園は昔から公園だったと思っている人が殆どとか・・しかし、CGグラフィックで再現出来る現在、当時住んでいた方は、家が沢山あって賑やかな町だったことが証明できて、本当にうれしいことと思います。 返信する 鳶凧さんへ (主) 2009-08-09 01:04:59 そうですね。わが身がどういう境遇になろうとも、”おもいやり”のこころは 人間として 持ちつづけたいですね。 返信する beroさんへ (主) 2009-08-09 01:22:40 そうか ふたりは 原爆が投下された時に 産まれていたんですね。さきほどまで NHKテレビとラジオで ヒバクシャからの手紙 というのを放送していました。8/5から 連日放送されている原爆の特集番組をずっと観ています。この歳になって はじめて 戦争のこととか 考えています。写真は前日の夕刻のものです。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
終戦の年に生まれた私にとって人事とは思えない思いで一杯です。
被爆していないものが 被爆された方の苦悩を理解することは 非常に難しいと思います。
いざ 結婚となった時には なかったことにするのではないでしょうか。
昨日の夕方に榮橋の下流 遠候川と京橋川に別れるところの流れに 一匹の鯉がゆったりと泳いでいました。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/c5/3407af9affb2e5f83bc1ed86221d9fc5.jpg
わたしには 被爆された方の生まれ変わりではないかと 思えました。
確かに同じ立場にない人がその苦しみを理解するのは難しいかも知れませんが自分が逆の立場になった時どの様な思いであるかの”思いやり”の心だけは持っててほしいと思います。
さきほどまで NHKテレビとラジオで ヒバクシャからの手紙 というのを放送していました。
8/5から 連日放送されている原爆の特集番組をずっと観ています。この歳になって はじめて 戦争のこととか 考えています。
写真は前日の夕刻のものです。